あうるすぽっと ロームシアター京都 レパートリー作品 『糸井版 摂州合邦辻』

 4度、5度と繰り返される合邦(武谷公雄)の殺人シーンは、それが現在の東京に起きる子殺しでもあることを強調している。父(武谷公雄)と小さい娘(玉手=辻=内田慈)のシーンが長く演じられ、二人はセンチメンタルな歌の掛け合いで繋がりを訴えあう。これさー。役者信用してなくない?武谷と母役西田夏奈子は、古典の台詞の中に心を籠めることが巧みで、芝居に実がある。父と子どもの場面は、最初の「浪人だから」くらいまでで充分だ。

 冒頭シーンはじめ、歌が多い。みな、眩しいほどに歌を信じており、観ながら「とうとう古典の中からミュージカルが生まれてきた」という感慨を途中まで持った。惜しい。父娘の歌が長すぎるというようなことから表れるセンスの甘さ。二幕の月を語るやり取りの恥ずかしさ。「いまわたしとっても惜しいものを観ている」と思った。

 内田慈は力演するが、玉手の邪恋は「偽りだから」という理由でからっぽに作ってある。義理の息子俊徳丸(土屋神葉)の太ももをまさぐる手も、俊徳丸に向ける熱っぽい視線も、うつろなのだ。ここ、どうなの?観ててちょっとつまんないけどなー。

 俊徳丸、きれいな歯並び、伸びやかな声、「西洋物から来た人」という違和感がちょっとある、しかし浅香姫(永井茉梨奈)が訪ねてくるとき、柱の陰でうずくまり、放心しているうしろ姿が哀れでよかった。難しいと思うが、はじめ、浅香姫を愛していることを目で示さないと玉手との差が出ない。浅香姫の方も同じだ。表情から「実」が匂わないとよくできた紙芝居になってしまう。特に内田が「からっぽ」をきちんとやっているので深めてほしい。

 西田夏奈子、今日ちょっと泣きすぎたね。役者はみな頑張っている、この頑張りに見合うようなセンスを望む。