東京芸術劇場 プレイハウス 芸劇オータムセレクション イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出作品上映会 『オープニング・ナイト』

 三重の包み紙で包まれたがらんどうの籐製のボール(見た目セパタクロー!)の中に、赤いスーパーボールが飛び込む、という、人に説明しづらいイメージでこの芝居を観ました。包み紙は三重の現実、籐製のボールは主演女優ミルトル(Elsie de Brauw)、スーパーボールは事故死するミルトルのファン、ナンシー(Hadewych Minis)だ。籐のボールのようにミルトルはからっぽだ。それは今まで自分の問題を無いものとし、演じることで体の中を充たしてきたからだ。

 人間にとって避けられない老い、そして老いを巡る焦燥や疲労や恐怖が、ナンシーの死を目の当たりにしたことでミルトルにとりつく。(ここでまた残酷な演出がされ、舞台後方のガラスにナンシーの血がびしゃっと跳ねかかる。しかしあのくらい強烈でないと一瞬であのオブセッションを納得させるのはむずかしいよね)ミルトルは内側にナンシーを取りこんでしまった。狂気といえるものが彼女を襲う。体の中でスーパーボールが不規則に跳ねるみたいに。

 ミルトルのもう一つの問題は元夫で共演者のモーリス(Jacob Berwig)が、彼女を殴るシーンを演じきれないことだ。ここにも彼女が「からっぽ」ゆえのトラブルがある。ミルトルは元夫をどう思っているかをずっと棚上げにして生きてきたのだ。

 芝居の終りにニール・ヤングのHeart of Goldが流れる。Heart of Goldを探し求める「私」、探し求めながら「私は齢を取ってゆく」。メロディの中にはそのことへの肯定感があるような気がする。ミルトルとモーリスの最後のやり取りは、いままでスーパーボールだと思っていたものが、「黄金に変わった」と思わせるほど美しい。

 映像が多用され、舞台の構成が複雑で、私は筋が追えただけ、映像の総て、セットの総てを把握することはできなかったよ。