赤坂ACTシアター 『NINE』

 透明で、皺の寄っているスクリーンが、客席と舞台を隔てる。この皺、この歪みが、客席と舞台をどこまでも遠ざけ、スクリーンにはACTシアターの客席が映る。スクリーンが揺れると、客席が湯気のように揺れる。蜃気楼。それとも幻。それとも映画。その向こうに、見世物小屋のような円形4段の客席がある。どっちが蜃気楼なのか。(彼らは幻?彼らは幻だ。私たちは幻?私たちは幻だ。)

 弔鐘のように鐘がなって、フィルムが回り始めた。

 映画監督グイド(城田優)は、新しい映画を作ろうとしているが、なかなか脚本が書けない。妻ルイザ(咲妃みゆ)を連れてベニスの温泉へやって来る。そこに彼の愛人カルラ(土井ケイト)も来てしまう。プロデューサーのラ・フルール(前田美波里)も現れ、書けないグイドを追いつめる。現実と地続きの幻の物語が始まる。

 舞台セットは考え抜かれ、大きな装置が稼働し始めた時、かっこよくてちょっと涙出た。幻想や思い出や現実や映画が複雑なパズルのように組み上がっている。女性アンサンブルの衣装が凝りに凝っていて、「新聞記者たち」として登場するときなど、目が足りないくらいである。主演の城田優は英語の歌をさらりと歌うが、この英語の歌の後に「クラウディア!」と日本語発音で呼びかけるのがとても違和感。土井ケイト最初のイタリア語もっとまくし立てて。咲妃みゆは芝居が大きすぎ(台詞が…台詞っぽい。仮想の大劇場みたい)すみれは芝居が小さすぎる。台詞言えてないよ。それじゃクラウディアの内実を支えられない。サラギーナ(屋比久知奈)の安定しない発声もまずい。こうした理由で、全体を貫くグイドが弱くなってた。どこにも難をつけることのできない俳優さんで、体格にも声にもハンサムにも恵まれているのに、芝居が軽い。「自己中心的で薄っぺらい」って台詞あるからかもだけど、もっと求心力を持て。