Bunkamuraザ・ミュージアム 『ベルナール・ビュフェ展 私が生きた時代』

 「あー、はいはい」ビュフェのポスター、ビュフェの絵葉書、ビュフェのリトグラフを見るたび、足ばやに通り過ぎてきた。「絵が黒い→ビュフェとわかる→無視する」の連鎖反応。まあビュフェの黒も、一筋縄ではいかんということが、このたびのビュフェ展でわかりました。はじめてビュフェの前で立ち止まった2020年初冬。

 ベルナール・ビュフェは1928年7月10日パリ生まれである。父は会社(鏡を作る)の社長であったが、生涯ビュフェとは冷たい関係だった。ビュフェは母を愛したが、その母も彼が画家として認められ始めたころに早く死ぬ。孤独と死がビュフェにつきまとう。ビュフェの絵はまず、そのシックな「灰色と栗色」で注目される。『肘をつく男(1947年)』をみると、落ち着いた具象の中に彼自身が強く投影されている。全てが不均衡。画面向かって左に座る若い男の体はそっと傾き、組んだ左ひざは深く曲げられ、男の右にある机の引き出しは片方開いている。机の上のランプのほそながいほやはかすかに曲がる。不均衡の中から画家は誕生し、その歪んだ世界を矯めていた力が、いつの間にか『肉屋の男(1949)』という、吊り下げられた牛と青年という作品を生み出す。(牛の内側はグレートーンに塗りこめられ、一見おとなしいビュフェの絵の中に――牛の隣に立つ青年の中に――荒々しい赤が隠れていることをあらわにする。)今回の展示の中で、はっきりあの有名な黒い描線が見て取れるのは、『籠のある静物(1951)』のカフェオレボウルの無機質な形だ。この黒ってさ、いつもビュフェの後ろにある不均衡ゆえの「闇の眼」じゃないかなー。「闇の眼」はいつもビュフェとともにある。世界の輪郭を象る。妻アナベルが現れると、黒は迸るように噴き出して解放され、アナベルのドレスとなり(『夜会服のアナベル(1959)』)、ピエロに化した自画像(『ピエロの顔(1961)』の自己紹介的シルクハットとなる。だんだん危険でなくなる黒、黒はビュフェの影であり、水先案内人であり、仲間であったはず。しかし、後半になると仲たがいしちゃうんだよね。一時ビュフェは、黒と別れて、具象の普通の絵を描く。死の11年前、ドン・キホーテが黒い描線の鳥に襲われているのを見ると(『ドン・キホーテ 鳥と洞穴(1988)』)、なかなか画家も大変だなと思うのでした。