東京芸術劇場 シアターイースト パラドックス定数 第46項 『プライベート・ジョーク』

 パラドックス定数、熱烈なファンがたくさんついている。終演後、脚本を買い求める女性の長蛇の列をみれば、わかります。しかし、何故こんなに人気なのかはわからない、世界には細緻な知識とその披瀝を楽しむ人たちが多いせいなのかな。この『プライベート・ジョーク』は以前観た『骨と十字架』より段違いにいいです。前作がただ「知識の披露」だったとすると、この芝居は演劇的に「なにかしようとしている」。溶けた時計のように時空は歪み、先へ、後ろへと登場人物を揺さぶる。映画作家B(井内勇希)、詩人L(植村宏司)、画家D(小野ゆたか)は、ひとつの学生寮に、同時期に住んでいた。そこへ、学者E(加藤敦)、画家P(西原誠吾)という、同時代の巨人が訪れる。役者の芝居が丸まった花びらのように閉じ気味で、まるで空の星々のよう。そういう意図でつくっているのだろうか、観客には不親切だ。「このやりとりを、見たいものは見よ」といってるみたい。作者の手腕に比して、役者はちょっと落ちる。特に学者Eと画家Pの空間に、詩人Lの詩が入ってくるところ、全く盛り上がらない。ここは芝居のこころだ。体質として「知識」に引き寄せられる、という作家の事は理解できる、自分もそうだからだ、だがその体質を割って出てくる「こころ」が芝居に薄いのは、重大な欠陥(作劇と演出の)と言えるだろう。

 あのー、Pっていうひと、書いちゃうけどピカソ、西原誠吾の前髪が左耳の前でかすかにギザギザになっていて、「ああっ、ピカソやん!」とちょっと笑い、かわいく思った。そういう冗談の心はあるのに、若者たちの一場が全然バカっぽくかわいく見えてこない。たぶん、役者がもう十分分別のつく年頃であるせいかもしれない。役者、がんばれ。前髪誉められてる場合じゃないよ。