世田谷パブリックシアター シス・カンパニー公演 『23階の笑い』

 フリーザーから出したばかりの仔牛のあばら肉で、奥さん(さいしょの)にぶんなぐられそうになった(いや、なぐられた?)ニール・サイモン(そのわけは出世作『裸足で散歩』などで、夫の台詞を読めばわかる)は、こんな芝居も書いていたんだね。

 1953年、マッカーシー上院議員赤狩りと称し共産党共産党ソビエトぽい人、そのように感じられる人を追い落とし始めるころ、ニューヨークの高層ビルの23階の一室では、7人の放送作家が、1本の番組のために、知恵、センス、ウィットを競って台本作りをしていた。彼らの上に君臨するのは90分のバラエティショー「ザ・マックス・プリンスショウ」の主役マックス・プリンス(小手伸也)だ。皆は彼を「大将」と呼ぶ。マックスはカリスマ、傑物、笑いのセンスは一流で、機嫌が悪いと作家たちは縮み上がるが、心の底では皆を愛し、皆に愛されている。

 小手伸也、もっとぶっきらぼうで、王様でいいよ。パンフレットで「主役」とプレッシャーをかけられたといってたけど、小手伸也が王様でないと、「芝居の天井が低くなる」のだ。他の人が窮屈だ。カリスマになれ。例えばミルト(吉原光夫)が奇抜な格好をしていて、野放図に見える男なのに、マックスの前ではおとなしくなる。あの野放図よりもっとスケールでかくないとだめだよ。それが「みんなのため」なのだ。松岡茉優って人が私には今ひとつわからなくて、それは松岡茉優がばーんと自分を押し出すタイプでなく、一歩引いて受けの芝居が輝く性分だからだろうと想像する。でも…ちょっと押して。50年代、いや60年代も、スヌーピーに出てくるチャーリー・ブラウンの妹が、「専業主婦になるのに算数がいる?」と皮肉な調子で言ってた時代に才能で世に出ようとしてるんだよ。ヘレン(青木さやか)との差がよくわからん。