本多劇場 『東京原子核クラブ』

 ひとりひとりの芝居が、飛び出す絵本みたいに、開いた途端、こちらの手を圧して扇形に広がる。ぎっしりだ。

 特に、東大野球部エチオピア文学専攻の橋場大吉(大村わたる)が、野球部の友人林田(石川湖太郎)に頭を下げるシーンでの大村の芝居の精度はすばらしく、帰り道も橋場を思い出すと心が粟立つようだった。ぽつんと鳴らす名手のピアノみたい。若手の理論物理学者友田晋一郎(水田航生)の青春記が、昭和初期の下宿屋「平和館」を舞台に展開する。わらえて、かなしく、つらい物語だ。

 けどなー。話がぜんぜん弾まない。筆記具に蝋版ってあるでしょ、表面の蝋に傷つけて字を書くやつ、あれの滑りが悪い感じ、フィギュアスケートのスケートが進まない感じ、蝋の下の板や、氷に跡がつくような奥へ食い込むシリアスな芝居はとても優れているのに、表面のやり取りが暗い。重い。湿気てる。ライスカレーとか、のろくて残念なやり取りだった。西田先生(浅野雅博)の犬のシーンも、笑えない。ライプチッヒ帰りの友田を演ずる水田は、どの位嫌な奴になるか探り探りやっている。ここがも一つピシッと決まらないのと後半の氷にスケート靴食い込ませるところ(物理学者としての述懐)が肚に落ちてない。

 下宿の娘桐子(平体まひろ)、いわゆる「娘声」ではなくお腹から声を出す一人の人間としてあらわれていることに好感を持った。芝居が進むにつれ彼女は成長し恋をし、「わかりませんよ、わたしには」という大人の台詞も言うようになってゆく。平体のリアリティの重石で、日本の原爆開発という被害の中にある加害も、照明弾で照らしたようにありありと見える。

 霧矢大夢、芝居に折り目が付き挙措が正しいが、心持ちサイズ小さ目に演じた方がよかないか。これ、コメディリリーフじゃない?