東京現代美術館 『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』

 胸に沁む落ち着いたトーンで、石岡瑛子の声が会場に降ってくる。「…デザイナーがかっこいいっていうものを見てみるとなんかツルツルピカピカ、表層的にただきれいなだけで中身はからっぽみたいに見えるんですよ。」血の出る思いでデザインしてきた石岡瑛子のあれやこれ、石岡の軌跡を辿れば辿るほど、そこに「血」「汗」「涙」が流れているのがわかるのに、作品から目を離して次へと移るとき、そこで心に浮かんでくるのは ピカピカの時代にツルツルの世界で活躍したひと という印象だ。

 石岡が資生堂に入社して最初に賞を取った、紅く透きとおる石鹸を鋭利なナイフで切って見せた広告の撮影前日、彼女は石鹸を冷蔵庫に入れた。たぶん、ツルツルになるまでピカピカに磨いたのだろうという。一心不乱に「ツルツル」を目指した日々から経験と実績を重ねて、石岡はそれではだめだと思うようになっていく。それは広告とのお別れを意味していた筈なのになー。そして、すべてを引き受ける「演出家」や、「監督」になるべき人だったのになーと、他人事だけどなぜかとても残念に思う。特に『MISHIMA』のヴィジュアルイメージ、造形の一つ一つが、つよく撓めたねばる大枝のように力を持っているのを見る時――二つに割れる黄金色の金閣、華奢なふすまの壁に囲まれて謀りごとをめぐらす若者たち――この作品がきちんと上映されていれば、彼女の人生も変わっていただろうとおもわずにいられない。

 彼女の作品には何かが欠けている。何かが過剰だ。自分を表わす、曝け出すということがない。にもかかわらず怖いほどの美しさがぴかぴかと溢れ出している。彼女はモチーフに寄り添いつづけ、なかなか本心を明かさない。それは広告で石岡が培った生き方なのだろうか。