KAAT神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉 『アーリントン [ラブ・ストーリー]』

 「管理する者」と「される者」、「監視する者」と「される者」に二分化された世界。分断が最高度に進み、ここには強者と弱者しかいないのだ。

アイーラ(南沢奈央)はその弱者側だ。ずっと監禁されていて、自分の年齢すらもわからない。彼女は従順に、何か恐ろしさを感じさせる番号札を取り、その順番を待っている。アイーラを今日から監視し始めた若い男(平埜生成)と会話するが、その男の顔も知らない。ついに順番が来た。彼女は脅えながらも、素直に進み出る。

 林立する、「弱者」を収容するタワーが、目の裏に浮かび、それが砂のように瓦解し舞い上がる。果てしなく白い墓標の広がる草地――アーリントン――のイメージが、「タワー」と、そこで静かに壊されていく者たちの無数の終りと重なった。「タワー」は壊れて、アイーラとそれを助ける若い男しかいないのか。それともここにはアイーラしかいず、男も、タワーも幻影なのか。誰が「居る」のかの位相が変わることで、芝居は万華鏡のように見え方が違ってくる。美しくぶれたまま、注意深く死について語らないために、空間全部が「永遠」に接地しそうになる。惜しいねえ。何といっても芝居がおどろおどろしすぎる。特に、前半がまずい。ラジオから出てくる音声(川平慈英霧矢大夢)が、「何の声」なのかがさっぱりつかめない。アイーラと若い男の会話の演出に丁寧さが欠け、やり取りの中心(ハート)が見えない。翻訳も硬い。前半にハートがないので、後半の怖さに神経がもたないよ。南沢奈央、前よりよくなったけど声が上ずりすぎている。いない相手を見る時、視線は、「キメ」るべき。平埜生成、テーブルの上のものをばーんとどけるシーンの手際が良すぎて、これも心が見えないです。