東京芸術劇場 シアターイースト 劇団チョコレートケーキ 第33回公演『帰還不能点』

 ぽん、と舞台に小さくスポットが当たり、芝居が終わる。拍手しながらぶわっと涙がこみ上げているのであった。よかったよ。お疲れさん。とか、私、あまい。この作劇は、あますぎるもん。

 昭和25年、日本の敗戦から五年後の夏、一人の男の死を悼み、一団の男たちが縄のれんの一杯飲み屋に集う。彼らは戦前の省庁のエリートである。三十代のとりわけ優秀なものたちが集められ、対米戦の可否を分析したのだ。戦後散り散りになった9人が、一夜の座興に日本が負けると決まり、引き返せなくなるまでを寸劇で演じる。東条英機近衛文麿等、何人かがかわるがわる同じ役を務め、日本が深みにはまっていく様をシンプルに要約して見せる。長期化したシナ事変が、肉に食い込んだ取り除けない銃弾のように、疼き、暴れ、帰還不能点へ国を追い込む一因となるのが興味深い。

 中盤で芝居は一転、男たちの悔恨――国が敗け、多くの人が無残に殺されない道を、一個人として自分は模索すべきではなかったかという問いが問われる。ここが!だめだよ!一高帝大やたたき上げ、敗戦があったとはいえ、省内にそのまま残っているような「うまくやった」人の心の変化が、わずかこんだけの間につるっと訪れるとは、私には到底思われん。深みが足らん。戦争で受けたいろんな人のいろんな傷、その闇の深さを思う時、そんなに簡単にいいはなしにならないだろとつっこまずにいられない。能力ある(如才ない)男の心の変化に焦点を絞り、傷を拡大し、もっと時間をかけて描かないとだめでしょう。役者はみなきっちり演じるが、誰が誰だかわからない。めまぐるしく役が替わるからだ。しかし、そのことによって、誰もが失敗につぐ失敗を重ね、死を選ぶ「近衛文麿」でありうるのだということがはっきりする。