PARCO PRODUCE 2021 『藪原検校』

 打ち棄てられた工場、或いは廃屋に工事の赤色灯があって、黄色と黒の安全綱が上手から下手にいく筋か張られる。上と下、内と外、と思いつつ、マスクの下で(うーん)と唸る。まず市川猿之助が、パンフレットで杉原邦生を「君付け」でよんでるところで「ん?」となり、杉の市(猿之助)が楽々と惜しみなく歌舞伎の引き出しからいろんな技を繰り出しているのを見て、安全綱が足に絡んでばったり倒れる。歌舞伎の間合いというのは素晴らしい。この芝居にもよく嵌ってる。でもさ、一か所猿之助の間合いが外れてて、それは大詰めの母の名を呼ぶとこである。その前の、孤独、けっして「内」に入れてもらえない「外」の者の慟哭がうすいんだよー。技術が高いと事がすらすら運ぶ。歌舞伎座に歌舞伎を観にきてもらう導入にはいいと思うけど、杉原演出で猿之助主演の「この」芝居を「今日、たったいま」観るのなら、「今」感じた「今」の「てがかり」「引っ掛かり」がほしいです。

 人間の二面性を表わして、極悪の杉の市と大学者の盲人塙保己一三宅健)が互いを喰いあう蛇のように現れる。三宅健、声、口の中の前庭(?)しか使ってないよね。喉奥のどこかで止めてて、全身に響いていない。挙措、身体の重心(静まっている!)、品性はいうことないのに、声を聴くと首ががっくりうなだれる。芝居が進むにつれ喉が開いてきたので最初からがんばれ。この芝居、マイクの音量が大きすぎ、出だしの盲太夫川平慈英)の息遣いがかっこよく聴こえない。あそこでまずちょっとがっかりした。

 幕切れは「外」に観客を置いていく。集中を切らさず孤独な男の一生を追うことができた。杉の市とお市松雪泰子)の濡れ場、もっとコンパクトに、笑えるようにできないの?『かねはふね』とてもいい歌詞だった。みのすけ、もっとうまく歌えるだろ。