PARCO THEATER 『ピサロ THE ROYAL HUNT OF THE SUN』

 万里の波濤を越え、二週間の退屈な待機に耐えて、インドよりもコロナの猖獗する国にやってきた異国の客人。初日の芝居を観るために、劇場の真ん中あたりに座を占めるウィル・タケットの、きりっと立てた背筋を見ながら、「異国」について忙しく考えるのだった。だってあたし、インカ王くらい後ろ(うえ?)の方に座ってるんだもん。

 孤児で私生児のピサロ将軍(渡辺謙)はもう何も信じることのできない、不信の中にいる。インカへ旅立つ六十を越える彼は独身で、この芝居の中で「二人の息子」を持つ。一人は献身的に彼を信じる15歳の小姓マルティン大鶴佐助)、もう一人は「神」を名乗るインカの王アタウアルパ(宮沢氷魚)だ。王に会うための厳しい旅、不意打ち、アタウアルパの身柄を巡る緊迫したやり取り、アタウアルパとの約束を破ったために、マルティンピサロを捨て、ピサロ自身はアタウアルパに置き去りにされる。「異国の神」と「キリスト」が双子のように描かれ、最後に老マルティン外山誠二)が神の恵みを聴き手に願うと、「何の神の」「どんな恵みだったのか」がすっかり判らなくなる。この芝居を観れば、ずいぶん最近まで神聖な「神」の存在していた自国のことを思うわけだが、そこんとこちょっと遠慮勝ち、掲げられた大きなインカの太陽が、うっすら赤く見える位。やっぱ客人やね。芝居は大変面白いが、それはシェーファーの戯曲「のように」面白く、今、この場で「それ以上」がなかなか起こらない。「背き」「背かれる」関係がもっとたたみかけられるべきだよね、渡辺謙、身体が痛そう(ほめてる)だが死の匂いがしない。生きてる時より死んでる年数の方が長いんじゃん、「神の国」から締め出されているこの男の絶望が欲しい。牢獄、どんな太陽に照らされていても、それはそこにある。