Bunkamuraル・シネマ 『アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン』

 LAの小さな教会に立つアレサ・フランクリンの顔は、硬く、これから起きることへの不安で小さく見える。そこ、私は本当に驚いた。あのアレサ・フランクリン、ソウルの女王、全力過ぎて「ニュアンスないやん」とこっそり貶していた大歌手が、心配の余り脅えた子供のようである。このコンサートはレコードに変わるだけでなく、シドニー・ポラックの映画になり、父親の牧師C.L.フランクリン師まで登場するのだ。ピアノの前に座るアレサは白のゴージャスなラインストーンつきのドレスを着て、マイクを怖そうに引き寄せる。マーヴィン・ゲイの「WHOLY HOLY」。彼女は集中しようと目を閉じる。アレサのアップ。丸い白の珠がいくつも下がったイヤリングに、薄青いアイシャドウが映え、まぶたが震える。「私たちは何でも乗り切れる。」「私たちは世界を根底から揺るがすことができる。」音に集中していく。けど同時にすごく不安。というとても分裂した、アンビバレントなアレサを見守る。どうしてこの歌を最初に選んだか、よくわかる。まず、自分自身を説得し、信じようとしているんだね。黒いアイラインがもう溶けて、目の下で光っている。しかしちっとも気にならない。自分自身と接続しようとしているからだ。それは神への本気の祈りを意味している。本当に接続したアレサに敵う者はもうないのだろう。「なんでも乗り切れ」「世界を揺るがすことができる」ひと。「アメイジング・グレイス」ではアレサの節回しを聴いた聖歌隊が興奮して立ち上がる。なんていうかなー、林の中をさまよっていたカメラが、そこで90°仰向けになり、画面いっぱいに、空とそれを囲む木々が見える気がする。見えた途端に会場の人々が立ち上がり、踊り、手をたたく。アレサは神へと噴き上がる通路を歌で見せてくれるのだ。清浄。でも、ほんというと、私まだ、アレサの歌わかんないけど。