KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉 『イスラエル・ガルバン 春の祭典』

 「宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聴こえない」というTシャツを着てる女の子を町場で見かけて、こわ!とビビったのだが、イスラエル・ガルバンの踊りを見た後だとさあそれはどうかなと思うのだった。さあそれはどうかな。

 舞台にはおおよそ三つの円が光に照らされている。ちいさな円は木、大きなグレーの円は布、もう一つは半分が簀子の円だ。グランドピアノが下手に二台互い違いに組み合って置かれ、ピアノの内部は光を放っている。非常灯が消え、客席も舞台もふっと暗くなる。星空のような照明器具の小さな明かり、ここは宇宙なのだと知り、宇宙の底から、シタールのような、たわんだ音が浮かび上がってくる。ギターの調弦だろうか。強い足音がし、やや明るくなる。さっきまでなんだかわからなかったもの――双生児のようにくっついた「ピアノの中身」が立ててあって、それを赤い靴下をはいた右足が(白いシューズを履いている)下からこすっているのだ。次第に左足(素足にシューズ)が加わって、円を描いてこする。寝そべって足を動かすイスラエル・ガルバンは、今生まれてくる人みたい。宇宙の光線、春の光は段々に「音」に変わってゆく。音って何かっていうと、それは「力」である。人が限りなく地面を押すと、そこから反発して力が生まれる。この音は、力のせめぎあい、相争う二つの成分を表わしているのかもしれない。けど、今日のパフォーマンスでは、激しくなってからの畳み掛けるガルバンの身体の立てる音(つま先やかかと胸や指そして服)とピアノがうまく合ってなかった。特に最初の方。迫力が減殺してた。ここ、うまくいってたら、天をさす指が最後は向きを変えるとことか、生体の営み、或いは宇宙を示す動作が止まるとこ(思わずマスクの中で「わかった。ありがと。」といっていた)とか、もっと鋭く素晴らしかったと思う。