角川シネマ有楽町 Peter Barakan's Music Film Festival 『ランブル RUMBLE  The Indians Who Rocked The World』

 もちろん今では多くの人がネイティブ・アメリカンと呼んでいて、と頭では分かっているけれど、遠く離れた島国の、そのまた押入れの中に棲んでいるような私には、子供のころに柱にピンで貼った童画のイメージが抜けず、苦労する。ちいさな水彩画の中では、赤い木の実を摘むインディアンの子が、踊りながら遠ざかってゆく所だ。

 アメリカでは先住民の問題は全然終わっていない。押入れの中からだと、(もめてるのかな)とこわごわ思うだけだが、映画『RUMBLE』をみると愕然とする。無視されてる。軽視されてる。いないように扱われてる。奴隷よりもひどい差別に遭う。だからインディアンの血を享けた人々は、「誇りを持て、しかし血筋の事は口に出すな」と代々言い習わしてきた。だがインディアンの音楽に流れる心拍(パルス)は受け継がれて、ロックミュージックの中で顕ち上がる。リンク・レイ(1929-2005)のヒット曲「RUMBLE」は、インディアンの踏みつけられても決して死にはしなかった、戦いの鼓動を呼び起こす。若い者の反抗的な心情の呼び水となり、犯罪を助長するという理由で、歌詞のない曲だというのに、放送禁止になっている。ロックミュージックの中から、絡まりあった複雑な有機体として、「インディアンの血筋の者たち」は現れる。ジミ・ヘンドリクスやロビー・ロバートソン、ジョニー・キャッシュブラック・アイド・ピーズのタブーなどがそのほんの一部として挙げられる。

 圧倒的な「征服者」と対峙する先住民インディアンたち、「戦ってはダメ、芸術という秘薬をつかうのだ」と終盤語られるのが印象的である。インディアンはアメリカの巨大な影に覆われた大切な血脈、地の底(土地の魂?)と通ずる決定的な絆としてえがかれている。インディアンの歌いまわしがいつのまにかフランク・シナトラにも受け継がれているなんて、すごい話じゃないだろうか?