シアタートラム 劇団チョコレートケーキ 第34回公演 『一九一一年』

 男は泣かぬがよし とされた明治末期にあって、大逆事件の予審判事を務めた田原巧(西尾友樹)の目の裏側、身体の内側に、さんさんと涙が流れ落ちている。後悔、無念、慙愧、それらすべての思いを込めて、「内側に涙が流れる」。その涙の音を観客は聴き、気配を知る。この西尾の身体の在り方、演技が、きちんと芝居の基礎となり、無法な大逆事件を照射する。

 「お勉強ができたから」という理由から、或いは刻苦精励して、司法官試験に通った人々、「上」を望み、「上司」を顧慮し、家族を養う人々を、管野須賀子(堀奈津美)は、「がんじがらめ」と一言で語る。死刑になると思い定めた管野には時間はないが、その「末期の眼」は澄み渡っていて、威圧的に扱われても決して屈さず、凛としている。田原判事の優しさをすぐ感知するところに世間知も感じられ、愛人幸徳秋水の妻への手紙を突きつけられても平静を保つ(眉宇に苦しみが現れる)瞬間など、すばらしー。堀奈津美、ほんとうによい演技だ。そしてよい役だ。これ、荒畑寒村(前夫、6歳下の革命家)の事も出てきたら、もっと複雑で面白かったのに、この芝居は、「そこじゃない」からなー。

 「主義者」を一網打尽に押し包んで始末しようとする人々「権力」と、「自由というもの、それを本当に人間は手にすることができるのか」っていう話だもんね。ちょっと教科書的。やっぱり荒畑寒村出て来てもよかったかも。

山縣有朋の谷仲恵輔好演している。この権力の暗い威圧があって、終幕の編笠の人々の行動の輝きが生まれるという皮肉、悲惨。新日本婦人同盟の人(堀奈津美、二役)さ、もうちょっと個人的にできない?教科書ぽいよ。