帝国劇場 『レ・ミゼラブル』

 ものすごい音量で荘重な前奏が聴こえるとスクリーンに波しぶきが見え、ヴィクトル・ユーゴーの本の世界が観音開きになって、「レミゼラブル」がなだれ込んでくる。

 ガレー船漕ぎ、いちいち芝居が大仰だよと言いもあえず、全てのシーンが並列に矢継ぎ早に繰り広げられる。待ってー。台詞は全部譜になっていて、譜の通りに歌うのと、同時に感情を籠めるのがたいへん、はっきり言って、皆歌ってはいない、「感情をこめて呟いている」。特に前半ね。特に佐藤隆紀ね。歌って。シーンがあんまりスピーディなので、俳優は感情を掘り下げるのが難しい。しかし、ここはひとつ、斧で柱をはつるように、ひとつひとつリアルな傷跡をつけてほしい。あと司教(増原英也)が私の思ってたより厳しい人に作られていた。ジャン・バルジャン、残りの人生で証しをたてよ、って風だ。佐藤の「死んで生まれ変わるのだ」の「だ」、ここ嗄れてて不安定だった。がっかりだよ。

 ファンテーヌ(和音美桜)が排斥されていく心の動線がわからない。工場支配人(石飛幸治)は初めファンテーヌを娘だと思ってちょっかいを出していたのに、子供がいる女と知って悪意がふきでるはず。これは周りの女たちも同じ。フラットにやったらつまらないよ。こんだけ目まぐるしいんだし。ジャべール(川口竜也)は安定していて、アンジョルラス(小野田龍之介)は語らず、歌い上げるところが多いけど、とてもよかった。指導者って感じ。テナルディエ(駒田一)が弾まず、シーンが停滞している。エポニーヌ(唯月ふうか)「要らない自分」に悲しみと痛み――リアリティを持て、一幕終わりの盛り上がる所やマリウス(内藤大希)の「カフェ・ソング」、佐藤の「彼を帰して」、素晴らしかった。ぼやけていた世界に隅々までピントが合って、影と光が鋭く、繊細に見えた。