シアタートラム 劇団青年座第242回公演『ズベズダ――荒野より宙(そら)へ――』

 日露戦争でもスターリングラードでも、ロシア(ソビエト)の兵はたしか「ウラー」と叫んで敵に攻め寄せてたよ、と思っちゃうのは、この『ズベズダ』のソビエトのロケット研究者たちが歓声を上げる三つのシーンのうち、最後の一つでしか「ウラー」と言わないからである。しかも控えめ。うーん。野木萌葱の脚本は、第二次大戦の余波を感じさせるドイツ人ロケット科学者たちの囲い込み、ロケットの開発、その成功(そして隠蔽されるその失敗)、米ソの宇宙競争の激化と、やがて訪れるデタントスターリンの粛清やフルシチョフ時代などを大模様に取り込み、「名づけられない」、巨大な黒くうごめく生き物のような「熱」を捉えることができている。この「熱」の中心にいるのはコロリョフ横堀悦夫)という天才ロケット科学者である。そのロケットエンジンを担当するのは、かつてコロリョフを当局に告発したグルシュカ(綱島郷太郎)だ。ここんとこ、個人対個人の感情のもつれに苦さが足りず、甘い。結果、「そうはいってもロケットが大事」というロマンチシズムが際立たない。「それは戦争でもあった」はずの「熱」の鵺的な手足も見えない。「混ざり」が悪いのだ。

 青年座の俳優たちはソツなくしっかり演じるが、はっきり言う。これじゃダメ。芝居から肉体性が失われている。目を閉じていてもすべて、100%伝わるのってありなのか。特に綱島郷太郎やウスチノフ矢崎文也、考え直してもらいたい。声で説明しすぎだ。セットは空の軌道や、星を連想させるいくつもの電話などいいけれど、役者の芝居からも装置からも、荒野がかんじられない。須田祐介、声割れてるね。「死んだ犬が」というコスベルグのキャラは、冷静なオタクっぽく作ったほうがいいんじゃないの。全世界の気の弱い人間は、犬の運命に泣いてるんだからさー。