すみだパークシアター倉 KAKUTA第30回公演 『或る、ノライヌ』

 断念の物語。と纏めるのは簡単だが、まずは題名の「ノライヌ」でひっかかってしまう。ノライヌ小学三年以来見たことないよ。ってぶつぶつ呟きながら舞台を見ると、肩寄せ合うように並ぶ5本の電信柱が、ここは重層的な空間ですよと控えめに教えてくれる。

 2014年。津波と震災が起きて3年目のあの頃、心の「ひび」がまだ生々しくて、振り返るとついおろおろしていた時分。消失した恋人を追い、その恋人の犬を連れ、置き去りのものたちが旅に出る。チョッキの背中からのびるリードで、ふわっと両脇に広がるウェーブの髪で、毛布のような生地でそれとなく仕立てられた尻尾で、犬を表わす谷恭輔は、程よく犬らしく、程よくかわいく、いやみが全然ない。(ジョージ〈成清正紀〉、ルナ〈矢田未来〉もおなじく)しかし、犬の中から不意に恋人正哉が立ち上がるところが弱い。ここ、だいじなとこじゃないか。ノライヌは薙ぎ倒されて跡形もなくなった街でひとり吠える「ノライヌ」であり、「國」から遠ざかるその姿を彷彿させなければならない。ここも弱いなー。桑原裕子の脚本は、ちっとも前に進まない。退屈。それから厄介者の兄(若狭勝也)、助手小波(細村雄志)と車で北海道へ向かう顛末、活字で読んだら面白いだろうに、舞台上ではさっぱりだよ。巧く会話が絡んでないね。若狭、ちょっとローワン・アトキンソンみたいに味があるけど、運転のパントマイムは練習して。特に腕を伸ばして掌のつけ根でハンドルを押さえる仕草まずい。桑原の演じる國子の最後の号泣は集中した出来だったが、ところどころに「わざとらしい」「装った」表情があり(小波との別れのシーンなど)、それって脚本の惜しいわざとらしさに通じてないか。それと農業のコミューンに絡め取られた妹(高野由紀子)のシーンなど、高野演じるレズビアンに重ねても少し舌足らず。家族の両義性など必要です。