パルコ劇場 PARCO Produce 2021『ジュリアス・シーザー』

 芝居の帰り、ターミナル駅始発電車の運転手は女性だ。先頭車両の正面と側方を指さし確認して、小柄でロングヘアの彼女はドアを開け運転席へ入ってゆく。思春期の少女たちの鬱、というか無気力状態を改善するためには、社会のあらゆる分野で活躍する女の人の姿をたくさん見ることが大切。って何かで読んだなあとぼんやり眺める。おおよそ、主人公→奥さん→おかあさん→おばさん→おばあさんとなっている女の俳優の役柄の幅はとても狭く、限定されている。今日観た『ジュリアス・シーザー』は、全部が女性キャストで、その幅を広げるのに役に立っているとは思う。

 女性の演じる策士、女性の暗殺者、女性の英雄、なかなか演じる機会のない役が登場する。シェイクスピアが一冊の楽譜ならば、今日の俳優たちはよく歌えている。朗々と、又は小声で、流れるように淀みなく、高い所から低い所へ、低い所から高い所へ、頁を繰って歌は美しく進む。演出通りだ。けどなー。演出しっかりしてて役者もそれに応えてても、新味に欠ける。ブルータスの吉田羊、シーザーのシルビア・グラブ、この二人は役に味がすこし出てるけど、演出次第でもっとよくなったのでは?ばしっと声の出るキャシアス松本紀保にはびっくりしたが、譜を追うのにいっぱいいっぱいで、役に解釈があるとまではいかない。なぜブルータスと仲たがいするか自分なりに肚落ちしてる?真面目だよねーみんな、真面目もいいが、演出(男性、森新太郎)の「生徒さん」になっちゃだめ、企みが必要。驚かせてやんなさい。セットは曇った鏡で、登場人物のゆがむ自己認識を表わしたり、いくつも反射してこの『ジュリアス・シーザー』の世界の普遍性を垣間見せたりする。松井玲奈アントニー、譜面はもっと読みこまなきゃ成立しない、3度出てくる台詞は畳み掛けたりクレッシェンドしたり、工夫がないなら演説が無駄。