ヒューマントラストシネマ有楽町 『草の響き』

 「その六月、どんなあてもなかった。」(佐藤泰志『草の響き』)

 素晴らしい書き出しだ。身体の中に暗い空洞が見える。そこは塗り込められたように真っ黒で、目を開けていても閉じていても、大して違いはない。手を伸ばしても何にも触らない。その場所に佐藤泰志は居る。虚無と絶望、不安を言い表すこの一行なしに、映画は始められなければならない。たいへんだねー。

 この映画、「しゅっとしてない」と思ったよ。それはなぜか。観ながら、「誰が死んでも不思議ではない」という不安感が来ないのだ。夏のいきれる草の先が、尖ってない。丸い。和雄を演じる東出昌大はがんばっている。まさに五割増しでよくなった。自律神経の失調と診断を受け、ランニングを医師に勧められた和雄の、パタパタしたかっこ悪いフォームが、とりつかれたように走ることで日に日に改善し、ぶれない安定した形になってゆく。神経が擦り切れてパニックになり、待合室で妻(奈緒)の顔を見ても頬が攣って笑えない所もいい。和雄には二回人に触れるシーンがある。ここがなー。人の死をひきずる少年弘斗(林裕太)の膝に触る所は不用意だし、妻の手を握るところはあまい。結局なに、和雄は大人になりきれず、人が当然一人で抱えなければならない孤独が抱えきれないということ?「心にさわれない」(弘斗のこの台詞があいまいな発声、録音でよくない。大切な台詞なのに。)ってことが響かないよ。原作にあるえぐれるような虚無が見えん。ここへきて東出が私生活で「小火」くらいの炎上をしているが、東出自身の大人になりきれなさ、甘さが芝居に出てしまっている。はやくおとなになれー。次は六割増しで頼みます。大東駿介好演。こないだうちテレビで見たまずい芝居がうそみたい。