Bunkamuraル・シネマ 『ジャズ・ロフト』

 写真には音がない。あたりめーだと思うとこだけど、36歳で既に写真界(?)の大立者となっていたユージン・スミスにとって、そのことは痛切に意識されていた筈。大甘(おおあま)の写真だと、写真評論家が口元をへの字にする有名な『楽園への歩み』は、3,4歳の男の子と、2歳にならない位の女の子が、おぼつかない足取りで緑の庭の暗がりから明るみへ出てゆく後姿を撮ったものだ。確かに天国的、センチメンタルかもしれん。しかし、そこに速射される迫撃砲や、撃ち尽くされたあとの静寂があったら?話はまた別だよね。ユージン・スミスはものすっごい危険を冒して戦争に肉薄したのに、自分の写真に彼の感じた戦場の総ては、なかったのではないかな。

 「音を録ろう。」それは最初は、ユージン・スミスがジャズを愛しているから、そしてその愛ゆえに、ジャズミュージシャンに開放した電気すら違法なロフトに住みついたからだったろう。けど事態は段々に変わる。彼はロフトの天井、廊下にまでマイクを仕掛け、日常のやり取り、電話でのトラブルすら録音する。偏執的な作業に見えるけど、実はそのテープの一本一本が、すべて写真に音を仕込み、「音を撮る」もので、「音のついた写真」の一枚一枚を使って、写真家はトランプカードのお家のような「家」を建て、「音を撮ろう」「写真の中に棲もう」としていたのではないのか。郵便局員シュヴァールの理想宮のような、写真の宮殿、そこが家庭を捨てた彼の住むところであり、密閉された実験場だった。てな感じに思った私にとって、このドキュメンタリーはちょっとずれてる。セロニアス・モンクは素晴らしく、25歳で薬物のために南部へ帰ったドラマーは不憫だが、きっとそれもこれも、「録られた写真」の中の出来事だった。

 写真からはもちろん現実的に音はしない。けど、ジャズ・ロフト、写真の宮殿は、いつまでもモンクの不思議な和音を奏で続けるのだ。