PARCO劇場 パルコ・プロデュース2021 『ザ・ドクター』

 おもしろいじゃないの!ずーっと目の前の舞台に釘づけだった。医師ルース・ウルフ(大竹しのぶ)の患者が死に瀕している。患者は14歳で、中絶に失敗した。両親は海外で、飛行機でこちらに向かっている。両親の意を受けたといって、神父(益岡徹)が最後の典礼を授けに現れる。ルースは神父を病室に入れない。患者の意志が分からないという。それは次第に世間を巻き込む大問題となる。

 人間ってもちろん「個人」ではあるのだが、その「属性」を辿っていくと、ひとは「女性」であり「医師」であり「ユダヤ人」であり、とどんどん分解されてゆく。その「属性(例えば女性)」が浴びる「差別的視線」、あるいは「属性(例えば医師)」が浴びせる「差別的視線」、ルースの中のこうしたものが集中砲火で暴かれ、彼女は「研究所を率いる優れた医師」でいられなくなる。

 イギリスでは自分の全く意識していない奥深い所に――それは形容詞の使い方だったりする――差別は潜む。多くの差別には悪気がない。自分では気づかないからだ。「ルース」という一本のわらの上に、たくさんの差別が錯綜して載り、持ち上げることもできない位だ。多民族国家とは言えない日本での、自分の差別感に思いをいたし、がっかりし、反省する。駄目だねあたし。でも、日本にも、「え、知らなかったの?」というフレーズで始まる、いろいろな見えない差別があるよね。演劇ではなかなか見ないけど。

 俳優は隙なく演じ、2幕のテレビ討論会では楽しげですらあった。中では、サミ役の天野はながいい。身振り、仕草にスピード感があって、そこにある種の「重量」「きれ」を感じさせる。自由である。

 大竹しのぶは優秀で冷静な医師をミニマルに演じる。対チャーリー(床嶋佳子)、対サミ、対神父で違いがあったほうがいいと思う。