新国立劇場小劇場 『イロアセル』

 『檻』に入っているのはだれか、っていう芝居のような気もするし、そうでないような気もする。寓話のような気もするし、そうでないような気もする。『イロアセル』は不思議な芝居だった。なにしろ、面白かったような気がする一方で、つまらなかったような気までする。

 どこか陸地(本土)のそばの或る島では、各人の言葉に皆固有の色がついている。それを「ファムスタ」というポータブルの小さな機械(ケータイの事だね、きっと)で解析すると、どこの誰が何を言ったのか、全て知ることができる。それで島の住人は誰もが当たり障りのないことしか言わない。そこへ、本土から一人の囚人(箱田暁史)と看守(伊藤正之)がやってきて、丘の上に檻ができた。そこでは言葉に色がない。島じゅうの人がそのことに魅かれ、記録されない言葉を求め、囚人にひっきりなしに面会に来る。

 作家の考えた世界が、これ以上ないくらい無理なく具現化されている。プリズム(分光器)のように奥から手前に広くなる幾何学的セット、下手のフラットな壁に、段のついた天井や上手の壁に、美しい色が映し出され、登場人物の衣装もセンスよく楽しい。衣装に仕掛けのあるところもよかった。プリズムの光線の、いちばん細くなる所に「痛み」が仕組まれていて、そこで芸術鑑賞で来ている高校生たちはじめ、私を含む一般客も、はっと息を飲む。「島」の裏側の悪意、恨み、怒りが凝縮している。これ、「恐怖」でしょ?ちょっとあからさま。囚人の箱田暁史、いい役喜んでる場合じゃないよ。音域の一番高い所を使っているが、下げて。首に緊張の筋が出てる。それだと他の人の芝居が受けられない。人の台詞聴いて。カウンセラーみたいに。演出がきちっとやるといっていたにも関わらず、笑いが不発。女の人たち書き込み不足。寓話の限界かなあ。