映画 『リスペクト』

 ジェニファー・ハドソンといえば、『ドリームガールズ』(2006)の、不満が多くてわがままな、ドリームズ(シュープリームスをモデルにしたと考えられる三人組の歌手)の一員だ。「わがまま」で「総すかん」の目に遭うにもかかわらず、公開後十数年たってぼんやり思い出す『ドリームガールズ』のハドソンは、(あー、あの人、誰よりも「いい者」だったなあ)って感じなのである。「歌上手い」は正義になっちゃうのだ、説得力で。アレサ(アリーサ)・フランクリンがJ・ハドソンに自分の役を演じてほしいと指名したことや、アレサの葬式で、あの「アメイジング・グレイス」を歌っていることからも、ハドソンの実力と彼女への期待が読み取れる。

 この映画が優れているのは、評伝に出てくるアレサが、子どもの頃のトラウマを絶対に認めなかったという伝記作家にとってはがっかりな事実の周りをそっと埋めており、その埋め方にたいへんリスペクトがあるという点だ。ベッドにいるアレサ(ジェニファー・ハドソン)に献身的な二番目の夫(アルバート・ジョーンズ)が、足のマッサージをしようとし、両足を微かに持ち上げると、アレサはやめてと小さく鋭くいう。ここで何もかもがはっきりする。薄紙に開けた針の孔のようにこまかい、見えないほどのキズ、しかし針に糸を通すように記憶を通す場所が彼女にはあって、それが彼女を一種の離人症、健忘症に追い込み、つらい目に遭わせている。アルコール中毒がアレサを襲っても、理由は明示されない。ここは、もっと言ってくれないとわからないよ。でもきっと、あの場所が彼女を苦しめてもいるのだろう。あと、あの最初の夫テッド(マーロン・ウェイアンズ)みたいな評判悪い男と結婚しちゃう人にも必然性(父の重圧とか)があり、最後に涙を浮かべているテッドを見て、彼にも何かしら苦しい理由があるんだなと思っちゃいました。