桑田佳祐LIVE TOUR 2021「BIG MOUTH,NO GUTS」オンライン特別追加公演

 人がたくさんで、怖い。一万人もの人が整然と、おせちのようにぎゅっと詰まってる。さいたまスーパーアリーナ桑田佳祐も、この圧倒的な人数に、怖くなることあるだろか。

 エルガーの行進曲『威風堂々』がさらっとかかって、ミュージシャンがステージに上がる。この広い会場で、ひとりひとりが、小さくか細い。豆人形のよう。最後に桑田佳祐が登場した。桑田はカメラに大きく抜かれる。白のゆったりした、涼しい感じのシャツに、アンスリウムみたいなピンクの花と、針状の葉が胸の左右に二本ずつ描いてある。このシャツが映るたび(桑田は着替えをしなかった、最後半そでシャツになるけど)、なにかなあこの花、とずっと考えていた。クジャクの羽にも見えるし。パンツは幾何学模様で薄い茶と黄とピンクの柄かな。なんかまあ、おしゃれって感じには見えない。ただ歌いやすそうではある。

 始まった。『それ行けベイビー!!』、この歌が好きさ。歌詞の、「それ行けボク!」って、最高じゃない?家で用事しながらこの歌を歌う時、斬新だなと思う。歌っている人は、いつでもボク(一人称)ではないですか。自分で自分を励ます。コンサート名(BIG MOUTH,NO GUTS)と絡めて、「No Guts でいいじゃん」という歌詞が入ってる。おっ全肯定、現状肯定から来たね。声はそれほど出てないが、「出てない」とは気づかせない。最初だからね。

 『君への手紙』『炎の聖歌隊(Choir)』『男たちの挽歌(エレジー)』、他者にも自己にも肯定的なナンバーのあと、とつぜん、『本当は怖い愛とロマンス』で、痛撃を受ける。人には十分優しくしてきたつもりなのに、男は不意打ちで女に振られるのだ。

 「誰かに甘えてみたくて/ふざけて胸を撫でた」

 この歌聴きながら「ハハハ」と乾いた笑い声が出た。それ、「些細な仕草」じゃないよね。身体の自己決定権、「私の身体は私の物」を侵しているじゃん。これ2010年。昔だから仕方ないのか。でもさ、もう「桑田佳祐」のパロディソングになっちゃってるよ。

 「おいしい食事も奢(さ)してきた」で、ぐらぐらっと頭に来る。昔じゃないよこの歌。死んでない。罪深い。奢ったらさわれるのかい。やっすー。しょうわー。コンサート全体の陰陽について考えようと思っていても、この歌と『yin yang』のステージングが邪魔してきて、すべてぶち壊しにする。陰陽(太極図)の目になんないよ。女のパラオを桑田がはらりと解く?濁った色のランジェリーの女たち?衣装もいまいちだし、残念ながら現代には通用しない。

 『若い広場』『金目鯛の煮付け』といい歌が続き、次の「ご当地ソング」的『埼玉レディーブルース』で、また、口に出して「ははあ」という。桑田佳祐、めっちゃ喉ひらいてて、めっちゃ声出てる!声伸びる!えええ?ここで?ここ、笑う場所のはずなのに…。

 と、調子よく桑田は後半を歌い進む。コンサート初めの「陽」、肯定感は消え、『どん底のブルース』『東京』など。『東京』さ、前奏が聴こえない。駄目だね。照明が真下に当たり、青い舞台を突き刺す雨みたい。そしてその雨は、「東京」の主語の現れない「じぶん」を閉じ込める檻みたい。

 あのー、『鬼灯』だけどさ。

「紅(くれない)燃ゆる海の彼方へ」「君は征(ゆ)く」「故郷(ふるさと)」「美しいあの島」。

 昭和の昔から桑田は知らない過去を思う歌を書いていたけど、『鬼灯』、どうよ。これ、浪漫的で主情的で、いともたやすく戦争(次の戦争)に巻き込まれ、ひとを巻き込む歌だと思う。悲壮美、高揚感を誘う。山本五十六がなぜあんなに人気があったか、それは常識(親御さんに申し訳ない)があったから。この歌、常識がない。地に足がついてないって意味。『SMILE~晴れ渡る空のように~』の前段だったとしても、どうかな。

 『遠い街角(THE WANDERIN’ STREET)』のファルセットがきれい、桑田佳祐、ばんばん声が出ています。けど、後半、演奏が時々聴こえなかったのは、マイクのセッティング、音響のせいなの?アンコールの『真夜中のダンディ』を聴いてすごくいいなと思った。初めてちゃんと聴いた。心の中でめちゃくちゃ泣いている男の人の歌だったんだね。『愛の奇跡』(ヒデとロザンナ)の、女の人を一人選ぶ演出が今一つ。『波乗りジョニー』の「陽炎」という歌詞は歌わないで語っちゃったね、ちょっとくたびれたのかな。桑田が観客を「マス」ではなく「ひとりひとり」としてとらえようとしているところが立派。尊敬に値する。