TOHOシネマズ渋谷 『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』

 ふふーん。いまこんななってんのかスパイダーマン。感心しながら目の前のトム・ホランドスパイダーマンが、身元をばらされドローン攻撃したと非難され、MJ(ゼンデイヤ)を抱えて家に帰り着くまで、私も頭の中で忙しく走る。私、最初期の二作しか観てない。でもその後のマーベル映画の躍進ぶりは知っている。スパイダーマン=ピーター・パーカーはこの作品の中で、子供(高校生)であることが露見して、世の中の激しい苛立ちにさらされる。この苛立ちは、映画を作る人のマーベル=勧善懲悪(子供向け)へのフラストレーションのように感じられた。だってお子様映画だもんこれ。お子様映画であるが、勧善懲悪は融解し、疑問を持たれる存在になっている。「懲らす」は「殺す」だもんね。ピーターは多次元宇宙から引き寄せられてきた悪党(ヴィラン)達を殺さない、「治療する」という。傲慢。でも殺すよりましだ。ここが新しいんじゃない?「MITに入りたいから」と宇宙の成り立ちを変えようとするピーター(なぜいうことを聞く、ベネディクト・カンバーバッチ?)が、自己犠牲と別れを経て、「ひとり」、「大人」になる物語である。

 ベネディクト・カンバーバッチが明らかにすごくわかりやすい芝居(子供向け)していてつまらない。トップギヤで来い。トム・ホランドって初めて見たけど、どうやって作ったのか、左眼の充血が「とても芝居している」よね。メイおばさん(マリサ・トメイがおばさんだって!)との別れのシーンはたっぷりやるが、思いっきり海の上で音を立てて息を吸い込んでから潜る人みたいで感動しない。トメイの顔の方が迫力がある。

 先輩二人の「苦痛」と「悲しみ」がいい。この今までなかったことにされてきた「痛み」も新しい。このひとたち、もうちょっとだけ、かっこよく撮ってもよかったんじゃないの?脇だから駄目なの?