新橋演舞場 『陰陽師 生成り姫』

 うわ、喉ひらいてる、と三宅健の底力に恐れ入る。一年たったら進歩しているのである。三宅は安倍晴明という吉凶を読み、陰陽を見極め、境界の不確かな不可思議の世界に生きる陰陽師を演じる。冷静沈着な晴明だ。この役は3幕まで「しどころ」がない。1幕と2幕、事と次第の目撃者として辛抱する。その間、徳子姫(音月桂)を巡る話を進め、鼎の足のようになって芝居を支えるのは、彼の親友で笛の名手源博雅(林翔太)、薄情でのうてんきな貴族藤原済時姜暢雄)、その妻徳子姫の召使い火丸(佐藤祐基)である。あんたがた!もっとぱりっとやらんと!3人とも最初の台詞たいせつ!博雅と徳子姫のファーストシーンのやり取りが、おおげさでつらい。「想ってる」っていう一事があれば、こんな荘重な感じにはならんはず。済時、もっと腰軽くやる。まず身体から。火丸、「身分が下」、そしてやっぱり「想ってる」が要るよ。綾子姫(太田夢莉)、声をがさがささせて演じ、「フラグが立ちまくり」だが、その憎々しさだけじゃ芝居がもたず、退屈。少し音量落として憎らしさを緩急工夫してほしい。全体にこの芝居、やり取りに繊細さが足らん。音月桂、がんばったねぇ。成長した。琵琶を尋ねて綾子のもとに現れる時、衣装に気を付ける。なんか奇妙に見える。三宅健、喉ひらいたけど、声質もう少しよくして。まだ音が少しつぶれる。一番よかった台詞は「おや」というやつ、ぼーっとしていて心の綺麗な博雅を芯から好いていて、此岸と彼岸の間で「俺を喰らえ」という所は、ほんのわずかな一瞬、ぱっと血が出るように鋭利じゃないと。3幕、全体を見とおした台詞ごとの演技プランが足りない。その場の感触は大切だけど、それも細かい検討があってこそさ。身体能力の高い精霊たち(アンサンブル)がとてもいい。1幕初め、小さな豆電球が顔を照らしているところ、「螢…」と胸がほっこりした。