TOHOシネマズ シャンテ 『ガンパウダー・ミルクシェイク』

 息切れした。自分にとって納得いく(怖くない)ヴァイオレンスは『トゥルー・ロマンス』(1993)の、痛めつけられたヒロインの反撃だけである。ユマ・サーマンの際限なく現れる黒服仮面の敵も、結局これ「一人」なのかもしれんと思わされる。けどなー。『ガンパウダー・ミルクシェイク』の敵は、はっきり一人じゃない。全員だ。

 母スカーレット(レナ・ヘディ)が登場するとき、カメラはスローになり、ダイナーを画面左から右へと進む姿を平行に追いかけてゆく。スカーレットが画面を支配し、「卓越した何者か」であることを説明なしに(素晴らしい!)に示す。これ、それだけじゃなく、女の人を囲む空気、ムードが、「いつも重い」ことを含んでない?スカーレットやサム(カレン・ギラン)、図書館の女たち(カーラ・グギーノミシェル・ヨーアンジェラ・バセット)が闘うのは、世界のムード、頑なな男たちの雰囲気なのだ。思い出すね、あの時のこと、この時のこと、いないみたいに扱われること、年取ってるからって「外される」こと、最後の戦いで、「いないような者」が、重い空気を切り裂いて敵を討つ。だけどさ、それが「空気」である限り、彼女たちは動かしにくい手を持ち上げて、銃を構え、発砲しなくてはならない。これ、ずーっと「つづく」だよね。イキキレル。がんばるけども。何してるかと訊かれて「ソーイング」と答えるサムは、お裁縫してない。(ハードボイルドだな)と一瞬思うけど、こんくらいのハードボイルド、結構世間の女の人たちこなしているような気がする。引用されるV・ウルフなど、どっかで効いていればもっとよかった。イキギレの中には「ずーーっと戦う」っていうことのほかに、「いつまできれいでいれば?」っていう意味もある。そこ、引っ掛かっちゃったね。