東京建物Brillia HALL  2022年劇団☆新感線42周年興行・春公演 いのうえ歌舞伎『神州無頼街』

 千秋楽まであと三回。だからなのかなんなのか、こんなに一幕と二幕で人柄の変わる芝居も珍しい。紗幕越しに身堂麗波(みどううるは=松雪泰子)の横顔が美しく光る(心の中では、ここ、松雪のアップだよ!)休憩前の一瞬を挟んで、芝居は竜がのけぞるように腹を見せて裏返る。目の覚める攻勢だ。パンフレットでいのうえひでのりは「新しく・同じ」である新感線について語るのだが、この芝居で「世界観」は確かに更新されている。私、チャンバラって男の愛情じゃないかとちょっと思ってたんだよね。そして、「世界観の更新」てむずかしいよねー。更新できないからこそ、「古い世代」は「死」を迎えるのだって言ってもいいくらいだ。

 新感線は観客を置き去りにせず、そっと、巧く一歩前に出る。二幕の展開吃驚するもん。しかしなあ。一幕とてもまずい。まず、町医者秋津永流(あきつながる=福士蒼汰)の声の底が締まってない。内省がない。日記つけなよ。その相棒、宮野真守の「口出し屋」の冒頭シーン、ここは完全に演出が入って、ぺっらぺらの感情が、全く身体から乖離している体(てい)、なのだろうか。だったらね、いのうえひでのり、「演技観」の更新が必要。身体を動かす宮野も、「やらされている」のでキャラクターに芯がない。結果、木村了の「影」的な人物像が立たず、木村の最後のいいセリフが無駄。勿体ないよ。

 芝居観る時、誰かの目、誰かの指先が、不意にアップで見える時あるじゃない?でも、松雪を除くと主要キャラがアップにならない。福士も宮野も、高嶋政宏も清水葉月も木村了もだ。疲労がピーク?それとも遠慮してる?それともできない?わずかに清水次郎長(川原正嗣)の仁義はぎゅっと近くに見えるし、棺桶屋のお銑(村木よし子)は二幕できらきらしている。下支えしてきた劇団の女性たちの実力が、確実に上がってきていることが分かりました。