本多劇場 オフィス三〇〇 『私の恋人beyond』

 えー、脳?渡辺えりとのんのアフタートークを聞いて、吃驚するのであった。そういえば、そういうちいさい塊が、下手(しもて)の方で見えた気がするなー。「わかってほしい」というよりも、「わかられたくない」と自己を韜晦する、アングラの魔術のような手法だねー。うーん。渡辺えりは、簡単ではない作家で、舞台でドタバタや遠浅のやり取りが続いていても、観ているこっちは、いつのまにか(あっ)と転んで心の膝小僧を手ひどくすりむき、傷は深手で血がたらたらどころか透明の漿液がにじんでいる、って感じなのである。またこの傷が、各人の心ばえによって「ふかさがちがう」。問われちゃうよ。渡辺の考えは深く、風呂敷は大きい。今回の作品で言えば、マグリットの乗馬の絵みたく、見方によって違うように見える。

 断絶した人種や消された記憶の中に、恋人を探す井上(のん)、10万年前から生きかわり死にかわり、ただ一人の恋人を求める旅は続く。渡辺、小日向文世、のんが3人で30役以上を演じてゆく。これ、脳内から宇宙へ広がる壮大な話なのだ。人類の負の歴史を舌で舐めとるように、慄える細かい神経で作劇されている。

 けど――いつも思うことだが――盛りだくさん過ぎて追いつけない。減らしてー。そして、「今現在舞台上で起きていること」を「おもしろく」(意味深いことを軽く)いう言い方がバランス悪い。興趣が湧かないよ。

 あと三人とも芝居がバシッとキマってない。これは開幕してから日が浅いせいだろうか。のん、ずいぶんよくなったけど、まだ声が震えそう。「ああ」っていう嘆きの声がちょっと古臭かった。中から生まれるひとはもっとしっとりやったらどうでしょうか。エレキを持っているとこが、一番かっこいい。終幕、暗幕の様相が変わり、空に浮かんだシュールな膝小僧のことを考えた。