新国立劇場オペラハウス 2021/2022シーズンオペラ クロード・アシル・ドビュッシー 『ペレアスとメリザンド』

 このオペラを観る前に、予習としてペーター・シュタイン版(1992)を観た。あそこでは勝手に結婚したゴローに対し、アルケル王が、(我々は)運命の片側しか見えぬといっていて、それが芝居全体を通して一部分が常に覆われているという演出に適っていた。こちらケイティ・ミッチェル版では確か、人は運命の裏側しか見えぬとなっていたみたい。裏側なの?ペーター・シュタイン版も、ケイティ・ミッチェル版も、いつも舞台の一部が隠されていたけど、前者では「見る(見える場所を)」、後者では「見えない(視界の中に消失した場所がある)」ことがクローズアップされている。「見えない」ものを「見る」。メリザンド(カレン・ヴルシュ)は夢を見、現実ではない世界をさまよう。メリザンドの夢はドールハウスに似ている。横たわったメリザンドは真っ赤なワンピースを着せられ、靴底の白い真っ赤な靴を履かされる。ベッドに眠るゴロー(ロラン・ナウリ)もまた、人形のようだ。家族の中に行きかう一瞬の電気のような性的な視線が、巧妙にとらえられ劇化されている。オペラの「歌」とオーケストラを裏切って、「見えない」ペレアス(ベルナール・リヒター)とメリザンドは髪の毛の場(?)で早々と関係を持ち、きよらかな鳩がメリザンドのもとから飛び去る。「テキストを裏切る」。感心した。しかし、実は、音楽はそれを予期していたかもだね。夢でしたね、というオチになるけど、ドールハウスの方はどうなった、とか思っちゃう。しかしきっと、あれは「わたし」のドールハウスで、茶色のカバンに詰めて、私がぐったりと持ち帰ってきたのでは。もっとはっきり出してもいいんじゃないの。アルケル王(妻屋秀和)の歌が前半よく響かず、よく見ると顔が少し舞台奥向いていたみたい、メリザンド髪の毛のとこちょっと失敗してたけどよかった。