世田谷パブリックシアター シアタートラム 『毛皮のヴィーナス』

 支配したい(サディズム)、支配されたい(マゾヒズム)、ふーん、どっちもね、とすっかり冷静なんだけど、すっかり冷静じゃあ、この芝居全然わからないのだった。なんか、芝居の裏打ちに、「ディオニュソス的赤」が縫い付けてある。黒いキャンバスをナイフでシュッと切りつけたら、中から真紅の絵の具がごぼごぼ湧いてくる。筈。

 演出家トーマス(溝端淳平)は、『毛皮のヴィーナス』を舞台用に書き直した。イメージに合う女優は見つからず、オーディションを終えようとした時、ヴァンダ(高岡早紀)が突然現れる。ヴァンダは謎だ。マゾッホのヒロイン、ヴァンダと同じ名を名乗り、安っぽくも、高貴にも見える。ヴァンダとトーマスが脚本を読み合ううち、世界は裏返り、狂熱的な赤、原初の演劇的衝動が、姿を見せるのだ。ってことになると、この芝居、ちっちゃい。なんていうか、梅干しおにぎり的に、ちっちゃいの。赤が見えないし、「赤い」熱狂までたどり着けん。

 高岡、(こんなこともできるんだ)と思ったけども、蓮っ葉な女をやり通してもつまらない。もっと蠱惑的なところや、本の裏を読み切る「怖さ」が声音に出ないとね。自分の心の留め金を開けないとだめ。大胆さが足らん、溝端も同じだけどさ。このトーマスって男、UCLAの怜悧な金持ち美人をガールフレンドにする、今時の男だよ。今は、たぶん溝端の地、「いいひと」になってるね。あと、決定的にエロスがない。エロスってやっぱり、心の留め金をいくつもいくつも外さないと出てこないよね。きょう、その大事なシーンで噛んじゃったね。いろいろ芝居観るけど、こんなに噛む人そういない。高岡は身ごなしが内向きに、おにぎりみたいにぎゅっと閉じてる。溝端は心がおにぎりです。結果、最後の赤い紐が不可解。しかし、高岡が現実に一歩近寄るところが秀逸。