Bunkamuraシアターコクーン 『血の婚礼』

 木村達成、「かっこいい」のポテンシャルが高い。私がファンなら「全通」だ。でも、一方で、「かっこいい」を大事にしてる役者のことは(どうだかなあ)と思ってもいる。それでもこの『血の婚礼』の木村、ただ一人名前のあるレオナルドはつきぬけてかっこいい。それは木村がこれまでに培った技術だろう。この技術で、殺し合いで相手のナイフを押さえつつ絶望の叫びをあげるレオナルドが生きてくる。かっこいいだけではできないからだ。スペインの閉鎖的な村で、花婿(須賀健太)が花嫁(早見あかり)を娶ることになった。花嫁はかつて想った男(レオナルド=木村達成)のことが忘れられない。男もまた、結婚して昔を忘れようとしている。

 3幕の赤い土の丘を越えてくる素晴らしい「道行」に向けて、全てが緊張しているというのに、衣装がかなり微妙。これ、いわゆる「観客を置き去りにしない」演出方針を表わしてるの?鮮やかで、ちょっと垢抜けない色彩の服を、拘束衣のような黒革のベルトが縦横に包む。神の十字、因習をベルトが示しているとして、着こなせてない(特に、冒頭の須賀健太、顕著)。「月」も、俳優が踏ん張っているから笑わないけども、もひとつだ。この公演はこの先、「着こなす」「衣裳に負けない」ことがとても重要だよね。前半、レオナルドは汗まみれの馬のようでなければならない。静かな、死んだような家を騒がせる、激しい息遣いの馬、娘の心を目覚めさせ、恐れさせ、目を離せなくさせる存在。花嫁とレオナルドの間に、視線を交わさなくても(交わさないの希望)ぴんと張った糸がついてないとだめ。もっと緊張がないとみて楽しくない。1、2幕が課題。早見あかり、発声よくなったけど、激しい所もっと激しく。母(安蘭けい)には別れてゆくものを見送る「戸口」が与えられ、花嫁には外を見る「窓」しかなかった。今、花嫁は戸口から出てゆく。それは追放か解放か?