Bunkamuraザ・ミュージアム 『イッタラ展 フィンランドガラスのきらめき』

 90年代の終わり、「北欧」が若い女の人たちの間ではやり始めたのは、みんな無意識に、北欧ミタイニナリタカッタからだと思う。子供たちにはみな整った保育園があり、老人は守られ母親は働けて、一個人として尊重され、人権はちゃんとしていて、国は情報の透明性をたもっている。ねー。そんな未来が欲しかったんだよ。そしてその希望のひときれは、恐るべき安価で、イッタラで手に入った。北欧の白い光を集めるカルティオを、若い女や主婦たちが、せまい台所にコレクションした。赤いiマークがあんまりすてきだから、シールを剥がさずに使う人までいた。私だってカルティオ持っている。ティーマもある。ガラスコップとコーヒーカップや皿であることを書かなくても、大概の女のひとには通じちゃう。日本と北欧が激しく乖離してしまった現在でも、綺麗だから皆買うし、「北欧」にやっぱり憧れているのだ。

 「イッタラ展」は、この20年、ほしかったものが会場に並び、アアルト、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、オイヴァ・トイッカ、フィンランドのデザイナーの名前と作品が一堂に会し、じゅもんのような名前を全部知ってるじぶんをいじらしいと思うのでした。

 イッタラ1881年創業で、さいしょに会場に並ぶのはプレスガラスの派手な皿(アメリコンスカ)だ。20世紀になると、ガラスには線刻とカットが施されるのが普通になる。グラスに彫りこまれた細い線が、照明を透かして影を落とす。職人技に見入る。そして…1930年代にモダニズムがやって来る。アイノ・アアルト「ボルゲブリック」(水紋)。1932年製のボルゲブリックは、一目で水の丸く広がる波紋がモチーフなのがわかる。2022年の同じ製品に比べると、コップに入ったうねうねの同心円状の切り込みが深く、ぽってりしている。濃いグリーンが、本当に泉の波紋みたいなのだ。こ、これがほしい。でもさ、この作品割れやすかったんだって。それでデザインが少し変わっちゃったらしい。

 アルヴァ・アアルトの湖のような形の花瓶(アアルト・ヴェース)は、ガラスを流し込む型にスチール製と木製があった。木型に入れると、花瓶の壁が小さく波打ち、美しさにわくわくする。

 1946年にフィンランドではガラス・デザイン・コンペティションが開かれ、一位がタピオ・ヴィルカラで、二位がカイ・フランクだったそうだ。振興を図ったんだね。(カイ・フランクはトーヴェ・ヤンソンの映画の中でも、成績優秀者として一位に読み上げられるシーンがあった…)この二人がイッタラの方向性を決めた。才能があって、創造性が深かったから。うすいガラスの可能性が試された後、1960~70年代にはガラスの質感がクローズアップされる。サルパネヴァのフィンランディアシリーズがその代表。ごつくて、重い。ダイナミックだった時代を感じさせる。

 なかでは、オイヴァ・トイッカのファウナシリーズに目が行った。わたし、小さい盃を持っている。オイヴァ・トイッカだったのね。線描きで動物が描きこまれていて、その動物たちの点々の目がかわいいのだ。私はここに5センチくらいの金木犀の枝を挿すよ。

 イッタラの製品は、スタッキング出来るので重宝している。このことも、会社的・商業的には大切な側面だったみたいだ。スタッキングできて、色がキレイで、形がキマッてる。ほしいの多いとよろよろ会場を出る。でも、イッタラ、これだけ世界中にいき渡った後、これから、どうするんだろう。50年代、60年代の製品が売れ続けた後の、これからは?

 わたし、大きいイッタラ製品買うために500円玉貯金してんの。まだ貯金箱半分。頑張ります。