Bunkamuraシアターコクーン 彩の国シェイクスピア・シリーズ 『ジョン王』

 通路沿いの席の足元に、ゴールデン・レトリーバー盲導犬が静かに丸くなっている。すごく運のいい人と関係者が座る真ん中の通路からすぐの列に、タブレットが設えられ、聴こえにくい人のために字幕を提供する。だれがおもいついたのー、いいやんこれー、親に連れられおめかしした学齢前の子供がわくわくしながら席に着いてゆく。場内のアナウンスはシックな黒いワンピースの女性が手話通訳する。皆芝居観てみたいよねー、おしゃれして、今日は【リラックス・パフォーマンス公演】、少々音を立てても構わない日だ。当日券売り場に並んでいたら、おばあさんとおじいさんが、「今日は何があるんですか」と係の人に尋ねていた。ジョン王ですと係は丁寧に返し、あらそうですかとおばあさんはおじいさんを連れ回れ右して(係は帰り道を教えてあげ)帰って行ったのだが、あのおばあさんはほんとは、小栗旬が観たかったのじゃないのかなあ。係の人やさしかったけど、怖がるおばあさん(行き慣れない場所って怖いよね)に、あともうちょっとだけおせっかいしてもよかったのでは。それと幕間の休憩が30分(通常20分)あり、すんなりトイレに入れたのはほんとうによかった。音を立てても小声で話しても、席を離れてもいい、寛容な公演だ。自分、自分、自分、誰かがナイロンコートをカサカサ言わせただけで、死ぬほどいらいらしちゃう自分、自分にかまけて自分で頭がいっぱいだと、演劇って干からびちゃうなと思った次第。

 

 鉄鋲を打った木製の城門の向こうに大きな満月が白く丸く浮かび、とすればその下に水平に控える舞台―劇場は地球、城門と「その向こう側」を隔てるいばらの綱(赤い小さなリボンが数限りなく棘を飾る)が幾筋も連なる。この城門は、ジョン王(吉原光夫)にもフランス王(吉田鋼太郎)と王位継承者である少年アーサー(佐藤凌)にも開かれない都市アンジュのものだ。そしてそのように見せつつ観客をアンジュ市民に仕立てたり、難民の様に感じさせたり、2幕になると茨が客席を取り囲み、出られない、逃げられない、島国の民の「わたし」を追いつめる。19枚の花弁で飾られた「花」が閉じた門のうえにうっすら浮き出し、言わんとすることは明らかだ。けどさあー。ぜんぜん納得してないよー。私にはこれ、吉田鋼太郎がいう「反戦」を打ち出した芝居に見えないもん。後姿の小栗(門はトーチカのように見えている)は「流され」「押し出され」て行くようであり、「やむを得ないかなー」と戦争を呑み込み、時代に呑まれていく「気分」である。なにかっちゃあ船の片舷に蝟集して、日本を沈没させたころからいっちょん(全然ていう意味)変わらん。こういうの、わかったようなつもりっていう。まず、降ってくる人形がダサい。小劇場風、大劇場風、歌芝居、地続きにはなっているが、特にうまく働いてない。だって、演出が、「個人プレー」「大芝居」を捌くことができてないもん。たいくつ。もっとストイックになれ。もっともまずいのはコンスタンス(玉置玲央)だ。感情が追い付いてないのにやたら声を張り上げても駄目である。小栗旬(私生児フィリップ)昔と比べると「中身」が充実してきた。のに、自信なさそう。自信持て。けど、声もっと鍛えて。阿部丈二(シャチオン)素晴らしい滑舌。高橋努(ヒューバート)の芝居で『ジョン王』元とった。前半機敏にね。動作がぬるい。