坂本龍一 『12』

 プールに入ると考え事をしちゃうから、頭の中で『ラストエンペラー』のサウンドトラックを、最初から最後まで流していた。「水の下にも都がある」感じしたなあ。すくわれた。その程度に、ファンです。「Energy Flow」も草臥れた時聴くんだけど、曲が高まっていって繊いピアノの声になるところ、どんな曲も(親にクラシック聴かされる!)聴き分けることができなかった5歳児の、「きれいなおんがく」の原型だ。2018年版『BTTB』の中の「Energy Flow」は、繊い声の時右手の音が一音遅れる。黒い表紙のウラ『BTTB』では、ちょっとだけ右手と左手の音がずれている。右手にタメがある。それがなにか、右手の「治癒」の旋律が、五線譜を離れ、光の輪っかが立ちのぼるように、この世に独立して生き始めるように聴こえる。アルバム『Playing the Piano 12122020』だと、「治癒」は沁み込むように演奏され、方向が「上方へ」から「下方へ」と修正されちゃってるけど…。どちらもいいよ。この曲が好きさ。

 新しいアルバム『12』、私が言えることはすごく少ない。ただ、茫然と聴いてきた「音」、その「ひびき」が、音楽家の中で、どんなに細かく感知されているかを思い知った。素人にはなにかホースのような管を吹いているように聴こえる苦しげで頼りない音が、のばされていって消え際が儚くうつくしい。音源の特徴が消え、昇華されている。ちいさな嘆きの声が伸びるうちに少し明るく聴こえてくる。(家の庭で小鳥が坂本の音楽に応える)

 呼吸音に聴こえる演奏もある。なにとも替えられない一日、一時間、一分、一秒、時計で計れないひとつの息。その息を、伸びる音の中にある「ひびき」が――エーテルのような気配が――取り囲む。「音」の要素について考えちゃったよね。サウンドの含んでいる複雑な要素と、影響しあう音がひとつひとつ選ばれているその意味。「歩む」というのは呼吸音のペースと似ているのかも。一瞬の不穏や、小さくなっていく音を聴きながら、「きれいだな」と思う。小鳥が窓に近い枝で、音楽に応えている。