新宿ピカデリー 『とべない風船』

 三浦透子の撮られっぷりが凄い。古代文明の女神像のような顔で映っている。隠してない。守ってない。三浦透子自身であることを貫いていて、「三浦透子」という観音開きの箪笥の中に、「女の子」「俳優」が入っている。その逆じゃないのだ。どうやって至ったこの境地。詳しくはWikiをご覧ください。「その場に居る」「身体に空気を通す」まで、いま一歩だ。三浦演じる凛子は、瀬戸内海の小島に隠棲している元教師の父(小林薫)を訪ねる。彼女は迷っている。一度は捨てた教職に戻るのかやめるのか。凛子はそれを父に語り、島の小料理屋の女主人(浅田美代子)にも話す。この子はまだ若く、それを簡単に口にする。そこが、役作りに見えなかったかな。

 島には土砂崩れで妻子を失った漁師憲二(東出昌大)がいる。トラウマを抱え、心を閉ざし、片足を曳く。東出昌大、なかなかいい。いやな芝居がない。だけども!演技プランがいまいちだなー。泣くシーンもいくつかあるから、どこにヤマを持って来るか、目算立てて脚本もっとよまないとねー。同じ泣き方じゃだめでしょ?

 海も島も美しいが、「多島美」なんて、どっかのセンセーが作った言葉、安易に使ってほしくない。映画の中の風景はこんなに素晴らしく撮れているのに、このセンスに心が萎む。台詞が硬く、日常性が欠けていて、このこちこちの台詞を見事に言いこなしている小林薫に感心した。ちゃんとしてる丁寧な映画だけど、義理の父(堀部圭亮)の言葉をふときいてしまうシーンの嘘くささに代表される、シールの上にシールを貼って、でこぼこしているようなぎこちなさがある。あとさ、お母さん(原日出子)の日記「ほぼ日手帳」だったけど、そしてあの家のお母さん確かに「ほぼ日手帳」使いそうだけど、どうよ?日記の下の「ダーリンの言葉」熟読しちゃいましたよ。漁師仲間の潤(笠原秀幸)が、でこぼこをすこし埋めてます。