小劇場 楽園 演劇ユニット「あやとり」第2回公演 『そこに、いる』

 何度も何度も台本を読み返して推敲し、無駄なく芝居を立ち上げ、たくさん稽古したのがわかる。開演前のお客様への諸注意が、少し震える、遠くからの通信のように聞こえることからも、考え抜かれていることは明らかだ。どこかの星に、着陸した六人の男女は、金に釣られて「クニからの指示」のなすがままとなる。「選ばれし者」であったはずの彼らは、実はすでに「失われた者」たちであることがはっきりする。そのとき彼らはどうするのか。なんかねー、スコット隊の南極探検(「用を思い出した。」と吹雪の中へ出てゆく…)を頭に浮かべて腰が引けていたのだが、かなしいような、あかるいような結末で、余韻はいいよ。しかしここにたどり着けるのかほんとに?という中盤の展開。まず、全員のトラウマがステレオタイプで心に入ってこないね。作家は登場人物の、誰の「中」にもはいれていない。その人だけしか見られない風景を見、その人だけしか感じない口の中の味を感じないなら、そんなのただ等分に注ぎ分けられた「独善」である。母親的な友梨佳(森菜摘)と十代の涼音(こころ)の傷が幾分関係あるけど、もっと緊密に、小高愛花も入れて、三世代の女の人のくるくる回転する終わりのない苦しみを打ち出してもよかったのになあ。間宮(青木祐也)のトラウマとか、描写が薄い。けど青木、もっと頑張れ。もう一つ、冒頭にダンスシーンがあり、みんなものすごくうまい(土屋康平除く)。でも、なんだこれ?この目つき?「私を見て!」「俺を見て!」の只の自己顕示である。やすい。「やり遂げた気持ちになる」、罠だよ。さらに言うなら土屋、常に目が笑っている。『錆色の木馬』の時、演出にものすごく注意されたことがぜったいあったはず。それを守れ。祐樹の西覚、髪と髭に頼らないように。宇宙食の銀色の包装を、ねじって開けるとこが鮮やか。この登場人物たちは、日本の若い人らしく、騙されやすいんだよね?お金受け取ってから来ないんだもの。