走りまわるロンドンバス!真っ赤で二階建て!あっちへこっちへ動くバスに、一瞬目を閉じた。わたしもちょっと、「生きてない」かもなー。悲しいこと、辛いこと、疲れているとき、人は心の目を閉じがち。いちいち敏感に心を動かす(赤いバスのようにね…)のが、きつくなっちゃうのだ。それで目を閉じっぱなしになる。映画の主人公ウィリアムズ(ビル・ナイ)も、「生きてない」。毎朝毎晩黒い汽車で職場へ行っては戻り、刻一刻とゆっくり死に近づく。ところが、男は自分がもう長くない身体だと知った。謹厳なウィリアムズは偶然知り合った作家サザーランド(トム・バーク)に、睡眠薬と交換で羽目の外し方を教えてもらう。伊藤雄之助の作家は地獄からの使者のように見えたけど、この作家は違う。むしろ死を運んでくるのはウィリアムズのほうだ。作家の顔は彼に深くおびえている。役所で部下として働いていた若い娘マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)は彼を恐れない。(天衣無縫の日本版もよかったけど、この人もとてもいい。彼女の個人技に寄りかからない撮り方もスグレテイル。)娘のほほを伝う一粒のなみだに、死にゆく男の心は浄化される。「死ぬまで責務を果たして生きる」、それも誠実にだ、と男は考える。小さな公園を作るために彼は全力を尽くす。街は雨だが、ウィリアムズは気にしない。それは死のかなしみを彼が受け入れたことを示している。
とても自然にすべてが「イギリス版」になってる。モノクロ映画を人がなかなか観なくなってる今、このリメイクはとってもよかったと思う。50年代の黒沢映画へのオマージュとして、50年代のイギリス映画へのオマージュとしてよくできてるねえ。
ビル・ナイもとてもよくて、工事中の公園でなんか若返ってる撮り方もいい。公園には、くるくる回る赤い遊具がある。命が巡ってることを明確にする。順送りに、人は生きる。けどさー、「THE END」の出し方まで昔の映画と同じようにやって、そこどうなの?これ疑問。いま作った「写し」の磁器の湯飲みの仕上げに、鉄さびの古色つけるような感じした。この映画の中には、「今この映画を作る意味」をはっきりさせる、もう一つ深いショットがあってしかるべき。「写し」にしては甘い。骨董のようなシミを、たった今つけて渡される新品の湯飲みってさあ。