THEATER MIRANO-Za 『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』

 陰と陽、スクリーンに現れるキノコ雲は噴きあがり、ドライアイスのような白い煙は下へ下へと重たく降りてゆく。男と女、陽射しと暗闇、陰陽は相補って、互いが存在することで、自分自身の象(かたち)を明確にする。舞台には大きな「坂」があり(あのスケールで「やおや」〈勾配のある舞台〉って言える?あれ?)、スクリーンに山並みがぽん、と映されただけなのに、(日本だなあ)と思うのだ。「坂」を登場人物たちは「登り」、「下り」、尾根を見晴かすようで、地獄へ行くようで、その行先はなかなかわからないのさ。この坂は、二幕で、人工物であることがはっきりする。運命や使命とかが、意外と作り物である、可変であるよというような感じ。

 エヴァンゲリオンパイロットの、身振りのシンクロが今一つで、ワイヤーの扱いがはらはらする。ダンスはまだまだダイナミックさに欠ける。けど、地球のスクリーンの前の踊りがとびぬけてたよね。ぐしゃぐしゃの苦痛の塊のような原作が、演劇的に整理され、悪者は退治される。あー、現実、退治されてないやん、とちょっと暗い気持ちになった。シンプルすぎ。14歳の4人(板垣瑞生、永田崇人、坂ノ上茜、村田寛奈)、金切り声を出しちゃ駄目さ、出していいのは「殺し」のシーンのエヴァパイロットだけだ。発声もっとちゃんとね。イオリ(石橋静河)と渡守(窪田正孝)の最終景は、すごくきれいにまとまっているけど、愛の悲しみも薄いし、どうなんだろうなあ、『エヴァンゲリオン』の身を引きちぎられるような苦しみや、追い詰められた叫びがないね、と思って、もう一つの陰陽に気づく。日本の私がのほほんとそんな感想を持っている外側に、かつて虐げた人々の歌、今虐げている人たちの悲鳴が、つんざくように響いているじゃないか。