世田谷パブリックシアター インバル・ピント『Living Room』

 こないだうち、一生懸命テレビ版を見ていた『エヴァンゲリオン』というのは、少年の悪夢のような第二次性徴期を、克明に描くものだった。インバル・ピントの新作『Living Room』は、その少女篇、ていうか、ガールズエヴァンゲリオンみたいだったなあ。エヴァが少年の象徴なら、Living Room——イキテイルヘヤは少女の象徴だ。

 部屋の角がやや下手側に仕立てられていて、樹木の大柄な壁紙が部屋を飾る。上手に壁に取り付けた笠のあるランプ、四角いテーブルとイス、下手に観音開きのタンスと大きな出入り口、白い布のかかったくぎ。後ろを向いていた少女(モラン・ミュラー)は、壁にくっついて前を向く。背中で部屋を測るように、足を「ハの字」「逆ハの字」に平行に動かしてさささっと移動してゆく。白い布でタンスを拭き、その中へ放り込む。あー、この布は、家事労働やエプロンを表してんのかなあ。手は震え、こわばる。「思い通りに動かないからだ」。この表現がものすごく素晴らしく、ダンサーに見とれる。動かない足を肘で指示するように触れる。どうしても壁にのぼりたがる右足を優美に、でも困りながら手で抑える。女の子は「物」のように自分を扱おうとするが、椅子は踊り、テーブルは回る。「いうことを聞かない身体」。足を痛くする。足が痛いので引きずっていく。ここがすんごいかわいい。閉口してる感じ。つま先のふかふかしたソックスがいいの。床に倒れていて、次に立ち上がる時、何気なく地についている足の場所から、あっという間に体が直立している。不思議。あのタンスの中から、「男(イタマール・セルッシ)」が生まれてくる。きゃー。娘たちのセックスや出産の恐怖の具現化だ。はじめ男はとても不気味だ。何も関係のない二人から、同調が現れ、目を見合さない男女が近づき、娘は男の首に手を回す。

 娘がねむりそうになると、部屋の明かりが暗くなり、この部屋が彼女の意識であることがはっきりする。終幕、生まれなおす娘がかわいくておかしい。全体にユーモラスでライトで、怖さが薄いのが少し物足りないかな。

 ダンスって、演劇以上に夜見る夢みたい。一瞬鮮やかなイメージを私たちに刻印して、私たちの日常を侵食し、ほんの少し私たちを変えてゆく。あと、うっかり観てたら大事なことを見逃しちゃうね。

そんなことを思いました。

 

 アフタートーク長すぎ、ダンサーの人、体冷えるやん。