世田谷パブリックシアター 『ART』

 マルク(イッセー尾形)は航空エンジニア、セルジュ(小日向文世)は皮膚科医、イヴァン(大泉洋)は文房具の会社に勤めてる。これさ、いつかは破綻が来る友情だったのかもね。エンジニアは「内部」を扱い、皮膚科医は「表面」を専門とする。以前は繊維を、今は文具を売る男には無二はなく、いつでも「互換性」がある。表面の異常を注意深く「外から」(光)見守るセルジュと、「内から」(影)すべてを推し量るマルクは、真っ白い絵を高額でセルジュが購入したことで、けんかになる。白い絵は「終わりかけていた友情」をあからさまに映し出し、三人の男たちはその実像とじっくり向かい合うのだった。

 うーん。小川絵梨子の演出する舞台は、面白いのかそうでないのか、判断つかないことがある。大きい話かなと思うと小さかったり、小さい話かなと思うと大きかったりする。それは小川が自分の勘どころを精密に決めず、現場にゆだねているからなのか。今回も、成り行きをじっと見ているうちに、いつの間にかマルクは決定的なあるものを手にしているのだった。家に持ち帰って反芻しているうちに面白くなるが、芝居を見ているときにびっくり感はないよ。拙い。

 今日はイッセー尾形の集中が薄くて、私の隣の寝てる人をちらっと見ていた。白い絵を(けっ)と思う「ほんとうにつまらない」という強い気持ちが感じられない。この芝居の演技は本当に難しくて、この他に「言い過ぎた」とおもう自己否定も表現しなくちゃいけないよねー。でもちゃんとやって。小日向文世は巧みだが、「この絵は素晴らしい」と思う自分に重量かけてない。だいたい、これ真っ白いだけの絵じゃないでしょ。ここが脚本弱いよね。折り目が入ってるんだから。表面を見る男として、もっと躍起にならないとね。大泉洋、家庭の紛争を話すところが、いい加減な感じを出しつつすごくちょうどよい。でも大泉をみて客が笑いたがっている。俳優として、これ、とても危険じゃないでしょうか。