紀伊國屋ホール 秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場 第130回公演『老いらくの恋—農の明日へ』

「老いらくの恋」「農の明日へ」…題名が、割れてるよね?前者は農家の老年の男農夫也(のぶや=葛西和雄)が虜になり、昼夜分かたず夢中になっているものや、彼の日常生活を語り、後者は「農業」について、その国内自給率が均して38パーセントであることをレクチャーする。

 農夫也の日常生活——妻康子(藤木久美子)、友人善吉(吉村直)のやりとりは、観終わって帰る白髪の女性が、「おもしろかった!」と会場内で思わず口にするくらいな出来である。鉱脈。石油。「老齢の者のための演劇」だ。たとえば康子は、ズボンのポケットを、携帯を探してさぐり、洗濯機に服ごと放り込んだことを思い出す。ぱたぱた走り回る足音。洗濯機にまだ水は入っていない。「よかった」ほっとする康子。この一連の流れに高齢の者ならだれでも覚えのあるリアリティと愛嬌があり、無駄がなく、生きている。熊本出身の吉村の自然な佐賀弁もいい。感謝しているのに口に出せない老齢男性っていうのも、含羞にさえ感じられる。

 ところが、農業についての数字や、農業に目覚めた東京出身の奈緒(藤代梓)の台詞は、もうなんだか、処置なしって感じの教条主義っぽい展開だ。13万の給料が、使いきれなくて、貯金ができるくらいです。えーほんとかよとマスクの中で言いました。じゃあなぜ農業研修生にみんながならないの。外国のものすごく若い少女たちが、集団で農家に向かうのを見たことあるよ。実際の数字(東京の自給率はゼロパーセント)を挙げながら、13万の給料が使いきれなくて貯金ができるとかいうの、フェアじゃなくない?それ、そんだけ過酷な仕事をしてるってことじゃない?農夫也が、自分たちが高級食材をつくって輸出することは、ほかの国の農民を圧迫していることではないかと、きちんといってるのに、ここんとこが裏切ってるよ。

 さいご、ケッコンで幕が降りなくて本当によかった。こういう話って、たいてい結婚で空間が閉じ、農業が異空間として、切り離され、孤立していくみたいに見えるからさー。