一周忌追悼企画 蜷川幸雄シアター 『ジュリアス・シーザー』

 上昇と拡大、『ジュリアス・シーザー』の舞台セットの大階段を見て、そんなことを考える。男の人の世界って、たいてい、上昇と拡大を基盤にしている。少年漫画(例えばドラゴンボール)なんて、上昇と拡大の繰り返しだよ。そして、その裏の、下降(転落)と縮小(衰亡)。

 いま、ジュリアス・シーザー横田栄司)の足は、階段の一番上の段、権力の頂点にかかっている。マーク・アントニ―(藤原竜也)が三度王冠をシーザーに捧げ、三度シーザーが拒むことが語られる。熱狂的なシーザーの人気の蔭で、シーザー暗殺の企てが進行する。

 男の社会のいろんな人間関係をふうんと興味深く見る。上昇と拡大を阻む嫉妬、憎しみ、上昇と拡大を強固なものにする忠誠心、友情。中でもブルータス(阿部寛)とキャシアス(吉田鋼太郎)の間の、男の人が嫌厭したり、最も隠しておきたいと思っている感情の暗示。キャシアスははんなりと柔らかくブルータスを抱く。

 上昇と下降の間で、アントニーは墜ちながら登る、褒めながら落とす、有名な演説を行う。藤原竜也は、セリフを吐き出すごとにそのセリフの一瞬を生きていることがよく解る。涙を湛え緊張した素晴らしい眼差しがカメラには捉えられている。しかし、セリフを、地図を見るように俯瞰する目が足りない。このセリフで、アントニーが市民たちをどこへ連れて行こうとしているのかがわからないのだ。アントニーは全然たくらみのない人間に見える。ざんねん。この演説がこの芝居のかなめであり、この大階段を生かすも殺すもこのセリフ次第である。男たちの生き死にに、地模様のように陰影をつける召使たちや奴隷たち、部下たちの喜怒哀楽、それらに支えられてブルータスは美しく下降してゆく。