2018-01-01から1年間の記事一覧
「付箋貼って読書」、アコガレル。「整理整頓」ぽい。「確実」ぽい。ちょっとやってみようと思って付箋買ってきた。そして『すいません、ほぼ日の経営。』読み始める。うーん。付箋役に立たないじゃん。 それは私が「職」や「経営」と全く関係ない所にいるせ…
クリスマスイヴ。舞台を遮る黒い幕の上に、白く”幻燈“が出てる。雪だるまや雪の結晶、サンタと橇などがかわるがわるしんみり現れて消える。しんみりするのはこっちだよ。クリスマスイヴに一人で落語だよー。と、心で叫ぶ自分を可笑しく思いながら開演を待つ…
愛嬌は世界を救うか。いや、あの、救わない?よくわかんないけど、「マッチポンプ調査室」の作・演出白倉裕二は、愛嬌のある、いい人なのであった。そこに胸を打たれて帰ってきたよ。 孤児で、十年間監禁されていた神家幸子(山口磨美、矢島美音)は、大学に…
「工房を作って安い絵に加筆、大儲けして邸宅を買った碌でもない絵かき」。 …と、まあ、私の中のルーベンスの評価はこのように最低だったわけだけど、田舎なら近場の温泉にも着くほどの時間をかけて、行ってきました。 会場に入るとかなり大きなスクリーンで…
ゾーイトロープ。切れ目を入れた黒い筒の内側に、すこしづつ動いている物を描いた絵を丸めて入れ、くるくる黒い筒を回すと、中の絵が動き始める、映画の先祖だ。ホリゾントの黒い雲と白い雲が、透き間に見える青空を、すこし、ほんの少し、気のせいぐらいゆ…
おっ、びりっとしてるね民藝。という今日の『グレイクリスマス』であった。斉藤憐の戯曲が面白く、一人一人の俳優が、登場人物と真剣に渡り合うのが感じられる。 ぱっと見、ここがどこなのかわからない、という装置。上手(かみて)に材を選んだ大きな階段、…
演じる女の人がみなハンサムで素晴らしい。新島襄が八重さんをハンサムといったハンサムね。きりっとしてる。 昭和50年ごろ、郊外の住宅地に立った六軒の小さな新興住宅。ここへ越してきた主婦たちの近所づきあいの、波立つ悲喜こもごもが語られる。…って、…
とりあえず、東啓介、いま、きらっきらな時間を過ごしているのだよきみは、と、説教じみたことを言ってみよう。アングラのレジェンドや小劇場の腕利きと、たった今、舞台に立ってる。いいよね。しかも、イカの足的に味わい深い、ずれ続けるノリを表現すると…
舞台を挟んで両側に階段状に客席。仕切りを取り去ったアパートの部屋。貧寒としている。右端と左端に上げ下げ窓があり、左端は四角く囲われてキッチンになっている。みすぼらしいダイニングテーブル、ちぐはぐの椅子、こたつと見まがう寝乱れたベッド、へた…
二幕、化粧前の鏡を囲む電球が、ピアフ(大竹しのぶ)の顔を照らしている。科白はない。けれど、空間は齢を取ってきた女の心で充填され、過不足なく充実している。何も言わない大竹しのぶは終幕では見る見る萎れていく何か美しい儚い夢のように見える。 とこ…
原作通りなんですよこれ、と、終演後、席を立つ隣の人に言いたい気分。驚くよね。宮藤官九郎はワン・アイデアで二時間のシェイクスピア、それも『ロミオとジュリエット』をねじ伏せる。 にしても何故ロミオは胸板の厚い、短躯・五十代の三宅弘城なんだろう、…
三島由紀夫の「ザ・俺」。よくある大河小説のように「自分」のキャラクターを細かく割って大勢の人間をつくりだし、同時代を生きる群像劇に仕上げるんじゃなく、「りんね」の形でキャラクターが桂馬のようにぴょんぴょん跳ねる。繊細で複雑なのさ。 とっても…
トレチャコフ美術館展。どの所蔵品の上にも、パーヴェル・トレチャコフの信条のようなものが、うっすらかかっている。なんだろ、時代思潮ぽいものかなあ。それが絵を皆ロマンティックにしているような気がする。「衒いのない国土への愛」「疑うことを知らな…
開場めっちゃ遅。場内アナウンスが遅れをお詫びするが、WOWOWをウォウウォウとか武部をタケブとか言っちゃって、読めないのか!と、順調に機嫌が悪くなる。2階席のうえの、うえの方に座った時にはすでに7時5分前で、遠い舞台にアルバムと同じ絵柄のオレンジ色…
勇気ある。作品に、演出に、俳優に、プロダクション全部が「勇気プロジェクト」だよ。作家の心の芯、作品の奥底、極北へ近づいてゆくじりじりした歩み、ほんとに怖く、すごいなと思った。かかわりあう、そしてかかわりあわない、四人の男。台詞は細かくカッ…
純情という物はふつう、世に表れない物で、一人で生まれ一人で死ぬ。純情が外に出るのなら、それはうかつだったか、もはや純情でなかったかのどっちかだ。 ここに純情を守れなかった一人の男犬神佐兵衛。彼のすることなすことからいちいちあやつりの糸が垂れ…
「俺は空気を描くけん。」 と、デルフトのフェルメールが言ったかどうだか、たぶん言わないけど、ほかの画家たちが挙って「絵」を描く中、フェルメールは見えない「空気」、確かに空間を充たしているのに、とらえられない自由な広がりを画面に定着しようと苦…
裂帛の気合。さっきまでのへなへなの入り太鼓がうそのよう。お囃子の三味線、笛、締太鼓が冴えて聴こえる。三味線の音に艶があり、清搔きが気持ちいい。それぞれが組み合って曲がつづれ織りのようにどっしりしている。手に取れそうな実在感。そしてまるで発…
1954-1955、『木村伊兵衛外遊写真集』として後にまとめられた写真、パリの写真の展覧会である。「外遊」という言葉のすんごいものものしさ、彼我の距離は果てしなく遠かった。写真の展示の最初に朔太郎の、ふらんすに行きたいけれども無理だから背広買う、っ…
「バラカンさんのジャズのコンピレーションアルバム貰わなくちゃ!」一生懸命ホール入口でボルボのアンケートに答えるのであった。 二台ディスプレーされたうちの赤い方(フュージョンレッドメタリック、XC40TA)、背の高い頑丈そうな車の周りをまわって、運…
スウェーデン語を習い始めのころ、ワークブックに、「スウェーデン人とはなんですか?」という、難しい問いがとつぜんでてきた。「国籍」って単語を急いで調べて答えたけど、「あれはなんですか」レベルの人にすごい質問をする。 現代サーカス(アーティステ…
舞台上空に、瞳孔のような星雲のような月のようなドーナツ型の鏡が吊るされている。舞台の表面は砂で覆われ、中央のタイルを侵食しつつある。電信柱は傾ぎ、錆び色のバス停は折れて、ベンチの背板はない。 世界はもう終わったんだね。そして破れたんだね。そ…
今はもう『七人の侍』を作れる時代じゃないんだ、と、90年代の初めごろ、黒澤がやや憤然と言っていたような気がする。それはこのミュージカル『生きる』の冒頭で、市役所の人がさっと膝を上げたときの、そのひざ下の長さを見ただけでわかる。戦前生まれと現…
気が重い夜、座席に向かって息を吐き、くるっと振り返って舞台を見る、とたんに胸が広々として気持ちがあがる。上手奥のスクリーンに『書を捨てよ町へ出よう』と凝った文字で書いてあり、下手スクリーンには空色のウサギの模様(確かにあれはミナペルホネン…
どうする民藝! どうした丹野郁弓! どうなってる黒川陽子! …と、縺れてなかなかほどけない焦燥感でいっぱいになって帰ってきた。まず、私が「若いほう」に数えられる客席がいかん。幅広いおきゃくさんに来てもらわないと。たまに若い人みても「関係者の孫…
自分が好き。自己肯定感ともいうけれど、山野海の「自分が好き」は人よりちょっと分量が多い。それが芝居を「お姫様(自分)の芝居」にしてしまいそうになる。いつも、(いい役で嬉しい)と見えるのだ。確かに以前観た時より抑制はきいている、だが、今回、…
「おやすみのおいのり」(クリストファー・ロビンがおいのりをする)という詩の朗読レコードを、いじめっ子たちは繰り返し繰り返し、クリストファー・ロビンに聴かせた。その「面白さがすりきれて」しまうと、彼らはレコードをクリストファー・ロビンに進呈…
この映画って、「フリーハンド」だなー。 定規やコンパスを使って作られた映画じゃない、まっすぐに引いたつもりの線でも少し曲がり、随時紙の凹凸を拾って太くなり、質感が出てしまう。「家族」「絆」ときれいに整理された「概念」を、「万引き家族」の、時…
「お父さんの芝居観たことあります。」お父さん世代でーす。 前から3列目、あとからあとから座る客の顔がみな、思わず、そして必ずほころんでいる舞台の近さ。 真夏の『メタルマクベスdisc1』の次は、この『disc2』、主人公のランダムスターを歌舞伎俳優の尾…
まず、劇場の大きさに比して、声が大きすぎる。頑張ろうという気持ちが声に出てしまっている。頑張る気持ちは集中力に使おう。チラシにあらすじが書いてあるが、それが面白そうでなく、「テーマは『依存』。」ときちんと説明されていて、そんなことは観るほ…