大駱駝艦・天賦典式 『パラダイス』

 「今は暗黒舞踏とはいいません。舞踏です」

 えっそうなの。って、そこからだ。生まれてこの方、舞踏を観たのは一回きり、今日観た若いダンサーが一人も生まれていないころ(断言)、15の夏休みのことだった。故郷の古い劇場に、暗黒舞踏が来たんだよね。

 赤い幕。左右から幕に光が当たり、赤い所は一層赤く、襞の翳は一層暗い。赤と黒。生と死、喧騒と静寂、昼と夜、女と男。明かりが落ちる。黒い闇が幕を這い上がってくる。赤から黒へ。幕が開くとそこは一面(いちめん)白く、白い躰の上で繰り広げられる血のように赤くて、死のように黒い踊りなのだなとちらっと考えた。

 中央に躰を寄せ合ったダンサーたちが、小鳥のように顔を動かす。「パラダイス」という題だから、ここは小鳥の声に満たされているのかもしれない。一瞬の静止、震えのような響きが伝わり、集団を包む。その中に白い髪を逆立てた、白と緑の衣裳の麿赤兒がいて、伏せた顔を上げた。はっとする。(鎖でつながれてる)

 ダンサーの一人一人の腕や首、頭が麿赤兒とつながっている。鎖に巻き取られながら、あるいは鎖を巻き込みながら、彼らは時計回りに「神」のまわりをまわる。ダンサーの足の裏が、つま先、外側、かかとと重心を柔らかくしなやかに変えていくのを観ながら思い出す。「15の暗黒舞踏」は、コぺ転だった。白塗りの躰は好悪と美醜を越えて衝撃だ。どうやら蛇らしい二人の男が舌を見せながら身をくねらせる。暗がりにある見過ごされた何か、失われてきた何か。

 終幕、さっき人々に置き去りにされたはずの「神」がまた登場する。再びの鎖。今度は麿赤兒の鎖を、ダンサーたちが外す。「神」は「人」だったのかもしれない。最初の「神」の図式は、ミニチュアのように、小さくなったのである。