NODA・MAP第二十一回公演 『足跡姫 時代錯誤冬幽霊 ときあやまってふゆのゆうれい』

 芸能。持ち上げられたり落とされたり、毀誉褒貶の激しいジャンルだなと思う。羨ましがられたり、憎まれたり、憧れられたり、蔑まれたり、忙しい。それはみんな、芸能が場を通じて一時(いっとき)顕現し、観る人を圧倒し、そのあと一瞬で消えてしまうからだ。世間の人って「消えるもの」を胡散臭く思ってる。「消える価値」を許さない。だけど「消えるもの」に魅かれてしまう。それが美しいから。

 江戸時代。出雲阿国の系譜をひく三、四代目阿国の女歌舞伎が興行している。そこへ現れる役人(伊達の十役人=中村扇雀)が、女歌舞伎を取り締まろうとする。一座しているのは、三、四代目阿国宮沢りえ)とその弟サルワカ(妻夫木聡)、一座の座主万歳三唱太夫(池谷のぶえ)たちだ。サルワカは穴を掘っているうちに由比正雪古田新太)を掘り出してしまい、その手助けで台本を書く。由比正雪の腑分けをしたい腑分けもの(野田秀樹)、由比正雪を頭と恃む戯けもの(佐藤隆太)も現れ、将軍家なんとかの御前での舞をめぐって、事態は混とんとしてくる。

 縦横無尽に幕が引かれる。幕を引けばそこでおきたことはみな「ツクリゴト」の「消えるもの」に変わるのだ。ありとあらゆる芸能の貌が語られる。反骨、追従、嫉妬、華やかさ、売色(吉原)との距離の近さ、純粋さ。全てが失われてゆく。消えてゆく。

 でも、踊り子ヤワハダ(鈴木杏)が川の中に黒く(黝く見えた)横たわるとき、伊達の十役人が声を張りながら辺りのカブキ者に鋭く目を配るとき、「ツクリゴト」の「消えるもの」は決してなくならないと何かが私に言う。風に瞬くローソクの灯のように、消えたと思ってもそれはまた灯り、いつまでもいつまでも続いていくのだ。