京都国立博物館 平成知新館 『日中平和友好条約締結40周年記念 特別企画 斉白石』

 気温15℃の春の日差しの中、窓越しの遠い芝生の上で、京都国立博物館の公式マスコット「トラりん」が来館者に愛嬌をふりまいている。「トラりん」は薄墨色と白の目立つとらの着ぐるみだ。館内の休憩所には、濃い桃色の服を着た10才くらいの中国人少女がいて、夢中でケータイを覗き込んでおり、「トラりん」に気づきもしない。トラりん見ないのー。見てあげてー。でもこの状況、なんかファンタジックでかわいい。白昼夢のようだ。とても斉白石に似合ってる。

 斉白石は湖南省の人、体が弱く野良仕事は無理だったので指物師になった。そこで考えついた意匠が評判を呼んで、有名画家の弟子となり、絵を学んだ。労働者出身の画家であることもあり、中国では大画家である。

 すぐに気づくことだが、斉白石の絵は、動物たちの目が皆かわいい。可憐。スウィートだ。じいっと見ていると、絵の点も線も、その滲みも、(石も木も家も羽毛も、)じんわりかわいい。ファンシー。普通の絵かきって、石は石のように、木は木のように、筆先が石に化(な)ったように、木に化ったように、画くものじゃない?世界が他者ですってかんじで。でもこの人、どの点も、どの線も、せんぶ「わたし」。分かれていない。こんなにうまくなかったら、きっと、意匠を考える人(デザイナー?)の箱に入れられちゃうか、意識せず(?)「わたし」がこぼれ出ているとおもわれて、アウトサイダーアートの分類に収まっていたかも。と考えた。

 印があんなに素敵なのに、讃が右肩上がりの癖の強い字なのは当時の流行だろうか。先達の呉昌碩に似てるけど、ぐっと下手。でも字にびびりがないし堂々と書いてる。字も「わたし」だからだろう。

 「かえるよー」京都発音のお姉さんに連れられてトラりんが帰っていく。女の子はやっぱりケータイの上に顔を伏せていた。