国立西洋美術館 『ルーベンス展――バロックの誕生』

 「工房を作って安い絵に加筆、大儲けして邸宅を買った碌でもない絵かき」。

 …と、まあ、私の中のルーベンスの評価はこのように最低だったわけだけど、田舎なら近場の温泉にも着くほどの時間をかけて、行ってきました。

 会場に入るとかなり大きなスクリーンで数分のルーベンスの紹介をみられる。ここが超重要。1577年生まれのルーベンスは、1600~1608年をイタリアで過ごし、1606年サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会の壁画を手掛ける。美しく彩色された天井画、ドーム型にせりあがってはまた引っ込む屋根の構造(ゴシック?)、見ているうちに自分が卵の殻の中にいる小人の様にも、宇宙を見渡す一人きりの人のようにも思えてくる。ルーベンスの絵は、このごっつい建築に負けない。豪胆で流麗だった。立派な絵描きやん。アントウェルペンに帰ってすぐ描いた教会の壁画も立派。じゃないとネロ、死んでも死にきれないよねー。

 ルーベンスの自画像の写しが会場の最初に掲げられている。思ってたのと違う。内省的でしぶい細身の男。まあそう思われようと考えてたのかもしれないが、ただ単に、語学、外交、人付き合い、商売、何でもできちゃう男の人だったのかもね。

 ティツィアーノの絵を模写した『毛皮を着た若い女性像』が、おもしろい。(どうしてティツィアーノの絵――コピーでいいから――並べなかったの?)私は賢そうなティツィアーノの絵の方が好き。ルーベンスのは顔のはば、腕、胸、何もかもがたっぷりしている。なんかね、「太っている」「弛んでいる」ということの中に、ルーベンスの趣味(たぶん)、「柔らかい」ことへの偏愛が滲んでいて怖いよね。という気がした。

 かと思えば『聖アンデレの殉教』のように「ご立派」感の出た絵もある。ダイナミックで、緊張していて、登場人物の視線がビームのように劇的に交差し、いつの間にか聖アンデレの天に向けた視線に登りつめ、集約されていく。

 ルーベンスの筆はなんだかみな波打っていて、会場を出た後も、視界から脈打つ「うねうね」がなかなか取れなかったのでした。